HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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QUINCY JONES “with Harry Arnold and his Orchestra”
2014/02/06

QUINCY JONES “with Harry Arnold and his Orchestra” BARCLAY 82.181 (FFRANCE)

珍しいアルバム入荷。これは書かねばならぬ! とオヤジも義務感に駆られる。
このレコードのジャケットを見ると、余りお目に掛かった事がないぞと、裏をひっくり返してよく眺めると、な、なんと、例の彼の代表作、スエーデンMETRONOMEの「HOME AGAIN」のフランス・プレスではないか。
当時こんなレコードも出ていたのかと、大いにソソられる。
ジャケットもスエーデン盤と異なって写真が洒落ている。
彼が笑顔で立っていて、後ろの壁に蔦が這った様子がなんともシュール。
試聴をすると、これがまた、原盤以上のメリハリの効いた音質。
これは拾い物!
レコード屋冥利に尽きる。

クインシーと言えば、ジャズメンなどという肩書は当の昔に捨て去って、あのメジャーのマーキュリーの副社長に上り詰め、更にポップスの世界で大活躍、マイケル・ジャケソン等大スターと仕事をし、世界のクインシ−になってしまった。
しかし、どこかの国の人気ミュージシャンのように、過去のジャズの経歴を消したいなどと言わない所が素晴らしい。

さて、このアルバムの録音された、あの頃に戻ろう。
1958年、満を持してスエーデンに渡ったクインシーは、音楽活動に没頭。
数々の演奏、録音と忙しかった。そして当アルバムの発表。

このアルバムは特に優れた作品であると、私は保障する。
メンツは全員スエーデン陣であり、AKE PERSSON, ARNE DOMNERUS,BENGT HALBERGなどトップクラス勢揃い。
通常、ビッグバンド・アルバムは聴けば元気いっぱいに、音がこれでもかと流れて来る。
所がこの作品、キラビやかと思えば、いたって大人しく、ガツンと来たかと思えば、ソフトな小編成かと思わせる音色、これぞ緩急自在の音楽で、作者が非常に精神的にも充実していたのであろうと推測できる。
この中のA−2「MIDNIGHT SUN NEVER SETS」など、ビックバンド嫌いの方々でも、一度聴いたら忘れられない上品さ、夏のスエーデンの白夜に人々が楽しみ、そして去る夏を惜しむ風景が偲ばれ、思わず目頭が熱くなりそう。
B−3「MEET BENNY BAILEY」などは、ベニー・ベイリー好きな方々なら感動なくして聴く事は出来まい。
なにしろ、この作品がリリースされ演奏会が開かれた時に、この曲は一体なんだと現地の記者に聞かれた時、彼は我々の気持ちなど全く理解してないと怒って記者会見の席を立ったという話もあるほどの、思い入れだったらしい。
即ち、ベニー・ベイリーを失ったのはアメリカに取って損失だという意味で、当時のアメリカの楽団のリーダー達から渡欧を惜しむ声が高かったのだ。下らない質問などするなと。
スエーデンに渡り、姉ちゃんは綺麗だし、音楽家として尊敬もされ、クインシー本人も一時は永住を覚悟した事もあるので、スェーデンに滞在した事は彼の音楽人生に取って非常に有意義であった。

という当時に想いを馳せながら、このアルバムを聴くと、過去への郷愁が沸々と心の中から湧き出る。
素晴しき50年代のモダンジャズの時代よ。
ああ、ため息が出てしまう。

ついでに右側に、スエーデン原盤の写真も掲載しておく。
ストックホルム・コンサート・ホールの正面玄関での写真である。
QUINCY JONES “QUINCY’S HOME AGAIN” METRONOME MLP 15010 (SWEDEN)

ALTEC 603B
2014/02/05

そもそも、昨日は何をしに先輩というか友人宅に行ったかと言うと、現在使用中の古いドイツのスピーカー、KLANG FILM(クラング・フィルム)KL-L307-11も良いけれど、ジャズマニアの習性か、時々JBLのD−130の38センチのフルレンジのガツンとした音が聴きたい時があって、買い換えようかなとも考えていたからである。

そこでまず、棚の下の奥に転がっていた、グッドマンの古い30cmウーファーが良いんだよ、といいながらフルレンジの実力を有する音を聴いたりして感心していたら、そうだこんなもあったぞと、引っ張り出して来たのが、アルテックの603B。
38センチのフルレンジ。こんなものを押し入れに入れ置くのか、あんたは!
これこそJBLのD−130という名機を世に送り出した、ジェームス・ランシングがその前に作っていた歴史的とも言える往年中の往年の名器。
「いや、なにか使えると思って、押し入れに仕舞ってあったんだけどさ、使うなら持って行くかい」
と言うので、ちょっと箱に入れてと言うか乗せて、適当に試聴。
こういう初期のスピーカーはどうしたって良いやね。
こんなのを聴かされると、やっぱり心が動く。
欲しい!欲しいがこれをどうやって部屋に入れるか。
都心の家の部屋は狭い。
以前、当店の棚を直しに来た大工さんの台詞、「新宿辺りはこんな狭い部屋に住むのかい、え? 私だったら住めないね」と言う通り、こんな場所に大きなスピーカーが置けるスペースがあるものか?
一応ためしに、片方だけ運んで部屋に入れて様子を見ようという話になった。
しかし、どうなるものか心配。

と考えつつ、新宿に帰り、愛器のKLANG FILM KL-307を聴くことにし、その前に借りてきたケーブルに替えたり、カートリッジを付け替えたりして試聴すると、あらまあ、何のことはない、ソニーロリンズのテナーサックスも、ゴリゴリと堂々と鳴っているのであった。
サイズが25cm弱の大きさのフルレンジも、ボリュームをいつもよりやや大きめにするだけで、立ち上がりの良い迫力満点の音がする。サックスの鳴りっぷりに、これぞジャズ向きとホレ直してしまった。
シンバルの音は、私の望み通り、カンカンと鳴り渡る。チンチンとか、シャンシャンより、カンカンと鳴った方が良い場合もあるのだ、ジャズにおいては。
そこはもうジャズ喫茶状態。
そう言えば、帰りがけに「このケーブルで聴くと、満足したって言いそうだけどね」とニヤニヤしていたのが目に浮かぶ。
いやいや、こんな事で喜んでしまって、新規の、買う話はどうなる?

いや、やっぱり603Bは欲しい、ここは思案の思案橋。

一夜明けて、そんな状況で電話してみると「いやね、考えたけれど、私も二つとも手放したくないからさ、お互い一個づつってのはどう?」なるほどね、こういう初期の名器は手放せないらしい。
「そうすると狭い部屋にも入るでしょ?」ときた。
音楽を聴く場面、場面、において丁度良い道具が必要なわけで、こういうのは欲しいに決まっている。
お互い一個づつとは考えたものだ。
それでもいいけど、良い方のをどっちが持つんだい?

ところで、説明もしないでだらだらと書いてしまった。
これらのスピーカーは、どちらもフルレンジで、どちらも古いが、家にあるKlang Film KL-L307-11 25センチ・ドイツ製、は1950年以前の製造らしく、過去のヨーロッパらしい質素な所と言っては言い過ぎだが、それが人生の機微が伝わるような落ち着きがある。それでいてメリハリもあり正直、非常に気に入っている。
Altec603Bはアメリカの製品というかジミー・ランシングの音というのか、明るさと豪華な響きがあって、38cmの大きさによるところか余裕も感じられ、そこが堪らない魅力。中央の小さなホーンが同軸かと見えるが、音を 拡散するための道具にしているようだ。当時のこういうアイディアに甚く感心させられる。


写真 左:KlangFilm KL-307 25cm, 右:Altec 603B 38cm

バイタボックス
2014/02/04

ちょっと出かけて行ったオーディオの先輩の家。

部屋のコーナーに鎮座したモノラルのスピーカーは「バイタボックス 191」
一言でいうと「コーナー・デラックス」。
珍しいスピーカーなのでちょっと紹介。
通常はS2ドライバーが使用されているのだが、彼の物には「S」というドライバーが使われている。
従って相当古そうだ。
55年位の製品であろうか、箱の作りも美しく、家具としても立派な工作である。
音は正面からも、両側の横腹に開けられた、細長い穴からも出る。

一度、売れと言った事があるが、これだけは売らないと言っていた。
余程、困った事でもあれば売るといっていたのだが、多分売る事はないだろう。

御宅に伺って、各社メーカーを代表する名機と言われるスピーカーをあれだ、これだと散々聴かされて、いつも最後はこれを聴かされると、それまでのスピーカーに対して、何の興味も無くなってしまう。
今日は何のための試聴だったのかと、いつも思う。
まあ、レベルというかクラスが違うという事である。

どういう音かって?
まず昔の、外国の大型高級スピーカーとしての共通点はある。
更に言うと、強過ぎず弱過ぎず、明る過ぎず暗過ぎず、出過ぎず引っ込み過ぎず、硬過ぎず柔らか過ぎず。
出しゃばる事は無く、かと言って大人しいわけではなく、そういうバランスを保ちつつ「堂々」と鳴る。
その立ち姿は、厳かな品格を持つ佇まい。
オーディオを極めた者が最後に、見た目も含めて、すっきり感を求めた時に行きつきそうな気配。

一言でいうと、一音を聴いただけで試聴は不要、5秒で即持って帰りたい衝動に駆られる。私などちょうどその年齢とも言える。
なぜなら、これがあれば、これさえあれば、もう他のオーディオ一切に手を出すことが無くなるに違いないと、確信する何かがある。
そう思い込ませる「音の品格」がある。
モノラル・スピーカ−たった一本だけで、ステレオのごとく、聴く者は音に包まれる。
こういう物を聴いていると、音響の製品の到達点がすでに50年代にあったのだと、私は思える。
一体ステレオとは何を求めたのかと?

今まで、俺たちがああだ、こうだと騒いだことが馬鹿らしくなる。
こういうのを聴くと、却って諦めが付くと言うか、自分の懐、お金も含めてだが、人は己の器にあったスピーカーを使えと天に言われているのだと、つくづく思うのである。
がしかし人間、捨てた物でもない。
逆に、オーディオでも、車にも言えるが、機械物の面白さと言うのがあって、自分のイメージの中において、上限の名器があったとする、しかし、お金も無い、そんな時に、そこからどうやって下って行くか、悪あがきをしながら、それをしながらいかにイメージに近づけるか、という事の大切さや、楽しさを知る事が出来る。

お金で解決する豪快さもあるが、じわじわと迫る解決方法の、いかに己の為になるかという事を忘れてはならない。

人はそれぞれの居場所がある、ここでも又、それを極めろと。
見得や外聞は何の足しにもならない。
オーディオの道は厳しい!


(写真は上部のみ、何しろ他人の部屋の事、あれもこれも退かせとは言えなかったので)

ART BLAKEY , Buhaina 等3部作
2014/02/03

先日、ART BLAKEYの72年プレステイジ・レーベルでの名作、Child's Dance (Prestige P 10047)のアルバムの事を書いた。
ところが、従業員から「オヤジ!こういうレコードはね、3枚一緒に書かないと意味がないでしょ。3部作とも言えるものだからね〜」とエラそうに言われてしまった。
最近、強気な発言が目立つ従業員。
若手が生意気だと店は繁盛しないものだ、と言うのかどうか知らないが、まあいいか。
俺は太っ腹だから。
それでせっかく、部下からの、上から目線の意見もあった事でもあるし、まあ、そういう事も言えなくもない、そうとも言えるので、一緒に加えることにしようかな。

3部作品とは、
Child's Dance (Prestige P 10047) 1972年  
そして、今日加えるところの2作。
Buhaina (Prestige P 10067) 
Anthenagin (Prestige P 10076)
という事になる。
一言で言うと、どれも出来はすこぶる良い。
ただ、昔の僕とはちょっと違う!というオーラが出ているので、昔のレコードしか興味の無い方には、全く関係の無い作品であるので要注意。

さて、Buhaina (Prestige P 10067)とAnthenagin (Prestige P 10076)は1973年3月25〜27日頃の、マラソンセッションなので、2枚の雰囲気は近い。
3部作と言っても、前者は72年でニューヨーク録音なのに対して、後者2作は73年でLA録音。
テナー奏者もピアノも変わるので、ちょっと雰囲気は微妙に異なるところも感じない訳でもないが、西と東の差はあまり分からない。

Buhainaは前作同様にウッディ・ショウの参加。
なぜか、ジョン・ヘンドリックスが2曲ばかり昔の馴染みとばかりに出て歌っている。
シダー・ウオルトンはエレピであるが、あの時代だったという事でモンクは居ないが文句はいうなと。ところで、Buhaina とは彼のムスリム名である。
コンガが参加して、ギターと併さったリズムが、コロコロと転がるようなノリが素晴らしく、これは若い人たちに受けるのも分かろうというもの。
ここらは、ウッディ・ショウよりテナーのCARTER JEFFERSONが活躍。
もう一枚の、Anthenaginも同様の雰囲気となる。
同じ時の録音でもあり、雰囲気は似てはいるが、ノリが良くて実に素晴らしいアルバムである。
残念ながら、ちょっと前に売れてしまったので、写真がない。
この辺りがレコード屋の悲しいサガ、売れてしまえば「無」、こういう時の話にもなりはしない。

ジャズの歴史の牽引車でもあったPRESTIGEレーベルは、この時期、FANTASYレーベルに買われてしまい路線が変わって行くので、ちょうどこの辺りがひと段落という所。
ある意味、これで良かった所でもある。

しかし今日は、一枚欠けているのに3部作などという、急こしらえの企画に無理があった。
かといって、ここまで書いて消すほどの人間の強さは無いのでこれで良し!

ドリームガールズ
2014/02/02

昨日テレビで見た、映画「ドリームガールズ 」
今更だけど、まあいいか。
ダイアナ・ロスとスプリームス(シュープリームス)の成功・失敗物語に脚色した話のミュージカル映画。
私は心情的にはフローレンス・バラード役のエフィという女の子に惹かれる。
実在のフローレンス・バラードはグループ脱退後1975年位の時に失意の内に死んだと聞いた。
古い話は知っているのだ、おじさんは。

あのダイアナ・ロスはアメリカの黒人達で最も嫌われた黒人歌手と言われるところの、白人観衆向けのスターなので、その辺りは、また面白い好対照の二人である。

だが、エフィのこれでもかという黒人の、こってりと粘った声を5分以上も聴かされて、ちょっと食傷気味になってしまった。もう少々軽くしてもらえると助かったのだが。
耳が疲れた映画だった。

だが、60年代のデトロイトが舞台だったりするので、ジャズ・R&B好きの私としては、街角の風景、暮らしなど大いに興味を持って見られた。
ここでも黒人が歌ってちょっとヒットすると、白人が大ヒットさせるという繰り返し、米国音楽界の常識が如実に出ていて面白い。

そういえば主役が、何と言ったか、そうそうビヨンセと言うのだそうだ。
ビヨンセという子は日本人でお笑いをやっている太った女の子の事だと思っていたので、オジサンびっくりした。
「美温泉」という名前かと思っていたもの。
初めて知ったよ。
長生きはするものだ。ウン

日々新た
2014/02/01

日々新た、と言いたい所であるが、毎日代わり映えがしない。
一月はとても寒かった、そこに来て不景気、仕入のレコードが届かない、と良い事がなかった。
それでミニ・セールをやったりしてアクセクしていた。
仕事場と家を往復するだけで、散歩にも出かける事もなかった。
思えば、こんな生活の有りようで新しい事があったり、何かを見る事もない。

もし警備でもしているならば、異常なし!というところである。
平和な世の中で、異常無しという事が如何に退屈なことか。




盆栽のふき
2014/01/27

先日のコーヒー屋の盆栽にしてあったふきのとう。
もう横から茎が伸びて葉っぱが広がっている。
早いものだ。

ART BLAKEY “CHILD’S DANCE”
2014/01/24

ART BLAKEY “CHILD’S DANCE” PRESTIGE PR10047 (USA)

WOODY SHAWなどが参加した72年の力作である。
個人的には好きな一枚である。

で、最初から話は飛んで。
何かの雑誌に書いてあった、レスター・ヤングの話。
50年代になって、昔のカウント・ベイシー・バンドのメンバーを集めて、30年代のベイシー・スタイルで演ってくれと求められた。
そのレコード会社とはきっと、VERVE・レーベルかもしれないが。
その時、レスターは答えた「出来ない」と。
「私のプレイは変わったのだから」。

偉い!芸術家はエライ。
それで引き下がった会社もまたエライ。
決して無理強いをしていない。ここがレスター・ヤングを尊敬するところである。

しかし、その話で、私はアート・ブレイキーを思う。
アート・ブレイキーは61年に日本に来て、大喝采で迎えられて以来毎年のように来日し、ずうっと同じハードバップを演奏された。
それはそれで大変素晴らしい事である。
しかし、残念ながらというか当然と言うか、やがてジャズファンから「いつまでも、同じモーニンばかり演りあがって。日本のファンを馬鹿にしているのか」
という意見が聞こえ始めた。
私も当時は全く同感と思っていた。

しかしその後、社会の仕組みというか商売のやり方などを考えると、カレはなんと優しい人だったのだろうと思う。
彼等とてジャズの流れがビバップ、ハードバップ、モードと移り変わって行くのを目の当たりにしている。いや、彼こそはその流れを作った本人だ。流れを誰よりもしっかり読み取っていた。
レコードを年の流れでしっかり聴けば、彼等の音楽もまたしっかり時代と共に移り変わっている事が解る。
それなのに、日本の客の前では相も変わらず「モーニン」。
彼だって、自分たちの新しい音楽を聴いて欲しかったに違いないと思う。
それでも日本に来れば普段ジャズも知らない客が来るわけで、プロモーターからは当然、モーニン、ブルースマーチ、チュニジアの夜、等々のヒット曲ばかりを要求させられる。はたまた歌謡曲まで、まるでベンチャーズのように。
商売となればそういう話である。
それに対しハイ・ハイと答えていた彼等は、本当にエライ!
だから、アート・ブレイキ−を、十年一日の権化の人のような言い方をしないで欲しい。
好きな日本のために演奏してくれたのだ。

そう考えながらこの72年の作品を聴くと、彼等の斬新さ現された、第一線で演っている気概がひしひしと伝わる。
当時の最先端のWOODY SHAWの起用も頷く事が出来る。
さらに、B面の「Song for a lonely woman」なぞは、進む程にノリが良くなって立派なクラブ・ミュージックでもレアグルーブとしてでも、一級品の出来栄え。

本当は、ジャズに対しては鬼のような気概を持ちながら、一方で日本人に受けるような昔の演奏に戻る優しい人。
そう思うと、今更ながらアート・ブレイキーという人が好きになる。
WOODY SHAWが吹く「I can’t get started」など、オジサン聴く度に、ほろっとさせられる。

人は青春の...
2014/01/23

人は青春の多感な頃、文学、音楽、絵画など激しいカルチャーショックを受ける。

特に、我々の戦後の時代は激しかった。
何しろ、日本は都会の一部を除き、戦時中まで江戸時代を引きずっていたわけで、いわば鎖国の延長。
戦争で海外に行った以外は海外旅行など無いという、文化的な生活など一握りの金持ちの人の話。

それが敗戦で、米国の進駐に付随し一挙に欧米文化が流入したのだ。
貧乏学生は金のかからない哲学や文学に、余裕があれば映画そして音楽に絵画に、金持ちは自動車を買ってもらって工業製品の楽しみ方と。 スポーツもと、ゴルフ、スキーも広がって、ありとあらゆる海外の文化をむさぼった。
最後はブランド品あさりに落ち着くのはちょっと淋しい気もするが。

ジャズのレコードなど貧乏人には遠い世界の遊び。
であるからこそジャズ喫茶の存在価値があった。
私も貧乏だったから、通ったものだ。

その頃に目覚めた美意識はずっと引きずって、人生に陰になり日向になり影響を与え続けるものだ。
しかし、ここが欧米の人と日本の人の違いがでる。あちらはずっと持ち続ける、粘り強いんだ。
我がクニでは学校を卒業する時、結婚する時、子供が生まれた時、出世したとき、の時々に「卒業」するという事が行われる。
過去の遊び文化との決別が行われる。それが大人になる事なのであると。
私はそれが残念に思うが、そうでもしないと出世に響くと。

その後、親父達は焼き鳥屋、ちょい悪ならクラブ通い、もっと上に行けば芸者通い。
スポーツならせいぜいゴルフ。
そうなると音楽は、ワルツといえば「芸者ワルツ」か?

ブルース
2014/01/22

ヨアヒム・ベーレントのジャズという本で読んだ事。

「ビリーテイラーが言った。
ジャズの巨人と言われた人で、ブルースに敬意を払わなかった人はいない。
一人残らずブルースのフィーリングを持っていた。
彼等が実際ブルースを演じたかどうかは問題ではない。
ブルースの精神を持たなければ巨人といえない。

ブルースの特徴である、どの音を半音下げるとか、なんとかそういう事柄ではない。
例えば、ボディアンドソウルでも、コールマンホーキンスの吹くのと、ソサェティバンドのテナー奏者が吹くのでは、まるっきり異なったものとなる。
それはその原因を作ったバイタリティーそのもの、なのである。」


いいね。
ブルースなくしてジャズの心は無し。
嬉しくなってしまう。

我々日本人のジャズもどちらかというとブルースの匂いのない音楽である。
だからと言っても、どうなるものでもない。
そもそも、戦前に日本に入って来たジャズが白人系のジャズであるデキシーランド・ジャズであるからして、もう白人のジャズに流れやすい。
まあ、これはこれでもいいかもしれない。

しかし、音楽産業の歴史というものは、黒人の音楽を、白人が洗練された演奏を演って見せて、お金を稼ぐんだね。
欧米は海千山千の世界だ。

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