HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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ふきのとう
2014/01/19

コーヒー屋に寄ったら、こんな盆栽。
ふきのとう。
苔の中から、ちゃんと芽吹いている、春の情景が醸し出されている。

盆栽屋さんで買って来たと。
面倒な草をこんなに巧くまとめ上げるとは。
流石にプロはやる事が違う。

デパート
2014/01/18

先日の朝10時頃、伊勢丹の前を通りかかったら人がいっぱい。
どの入口も行列。
なんだろうと思いながら建物の角を周るとまた、凄い数の人。
そのまま通り過ぎるのも勿体なくなって、また角を曲がって見ると、そこにも人。
当然駐車場入庫待ちの車も建物をぐるっと回ってしまった列。
これはどうした物かと、地下道に降りて見ると、そこはもっとすごくて、新宿駅の方から歩いて来る人を大声で並ばせている。
余りの並びスピードが速いので思わず見物。
開店の近くの10時15分には紀伊国屋の地下入口を通り越して、昔の丸井の手前まで来ていた。
それも3列で。

最後の方に並んだ人に聞いたらセールだと。
それもたった2割引き。
それなのにこんだけ並ぶのだ。
その日は一日中、店内のレジに延々と行列が出来ていたそうだ。
羨ましい。

人を並ばせる威力という物は、商売の利益の鉄則だ。
感心した。

クロックムッシュ
2014/01/17

夜遅く、ご飯物を食べようかと思ってある店に行ったのだが、既に売り切れ。
仕方ないから、クロックムッシュ。

ところで、クロックムッシュ。
フランス語だ。croque monsieurと書いてある。
これを翻訳ソフトに掛けると、あらま、「紳士をがりがりかむ」と出た。
紳士を噛んでしまったらマズい。美味くないわ。
ガリガリっと簡単に食べられると言う意味かもしれない。
どうでもいい馬鹿話は置いといて。

買い付でヨーロッパに行くようになったのだが、最初の頃の行き先は主にパリなど主要都市が中心。
パリの街を、レコード屋を探して歩いた。
「パリの空の下セーヌは流れる」、「エイプリル・イン・パリ」とか「パリの散歩道」等を口ずさみながら。
嘘だ、歌う訳がない、歩くのに必死だもの。

ちょっと小腹が空いた時、カフェに入り、つい注文してしまうのが、クロックムッシュ。
結構美味しいのであちこちで、カフェオレと一緒に食べた。
どこで食べてもそれなりに美味しくて良かった。
最近は日本でも普通にある。

しかし、だんだん簡単になり過ぎて来ているようで、最近のは、上にチーズのソース、いや違ったあのソ−スの名前はなんだっけ。
そうだ、モルネーソースだ。そのモルネーソースが掛かっていないのが多い。モルネーソースでなくともチーズだけでも載せてくれれば、それで十分楽しめるのに。
ハム・チーズ・サンドとの差が無くなってはまずいわな。
上に載ったドロッとしたチーズが良いんだから。

シュン !
2014/01/16

日記も滞り気味。
従業員に政治の事や、社会批判はもう書いたらイカンと言われた。
それはこの世にこれだけ多くの人が居る訳で、賛成する人がいれば、同じ数だけの反対者がいるのだと。
書いたとて、読めと言ったとて、政治宗教思想は十人十色、全員正しいわけで、どうしようもないだろうと。

まあ、そうだけど。
そうしたら、日頃文句ばかり言っている私は書く事が無くなってしまった、というわけ。
オレの頭の中はクレームしかなかった大馬鹿者だったかと、気が付く今日この頃。
という訳で、慎重に書く姿勢になったのだが。

しかし、あれもイカン、これもイカンで、堪忍袋が膨らむ一方。
その内に爆発するにちがいない。
芸術は爆発だ!

成人式で
2014/01/15

2・3日前の事。
外を歩いていると、お姉さんが着物を着て歩いて来る。
成人式の晴れ着だわ。

しかし、なんだね、着物やら、ヘアスタオルや、化粧など見ているともうキャバクラのお姉さんそのもの。
成人式だけど、今日はキャバ嬢のデモでもあるのかと思ってしまったよ。
おじさんは。

かんぴょう
2014/01/14

昼に買ってくる弁当も好みは色々変わるけど最近は、特にお気に入りが、かんぴょうの巻物。
かんぴょうの大人しい味というか、存在感の薄い食べ物として営々と続いて来た、日本の食文化の日陰の代表のようで一歩引いた感じがまた良い。
私も一歩引いた大人しい性格だからかな。
ウン。

そういえば、昔NHKで美人をやっていたアナウンサー下重暁子さんという人がいて、その後は作家さんになったらしいのだが。
彼女は干ぴょうが大好きで、寿司屋に入る時、まず「かんぴょうはありますか?」と確認してから入ると、テレビで言ったか、雑誌で読んだかした記憶がある。
美人が入って来たと思ったら、いきなりかんぴょう攻撃で、これでは寿司屋もびっくりするだろう。

前いた会社で栃木の出身の人に、いつも栃木はかんぴょうしかない、とからかっていた。
しかし、今となっては、かんぴょうは、よくぞ栃木で作ってくれたと感謝の気持ちで食べる。
誇りに思う日本の素晴しい食べ物である。

迷惑メール
2014/01/12

相変わらず、携帯の迷惑メールが来る。
「私では駄目ですか」とか「お支払すると言っているのに」とか「律子さん」等と延々と来る。
アドレスを代えるのも面倒だしさてどうしたものか、と思っていると、もう一つ迷惑なものが来る。

それはファックスによる営業。
まず、年率6.9%〜18%と高金利の金融会社。資金でお困りの経営者様へ、即振込み、などとあっちこっちの聞いた事もない金融から来る。
それに、この地域で開店した飲み屋。
頑張りますと書いてある。
こんな所で頑張るな。
FAX不要な場合はこちらにと案内もあるが、その通り送って、FAXが来無くなった事はない。
他人の紙を使用した宣伝方法とは、迷惑千万。
今までは、紙を丸めて捨てていたのだが、これも、迷惑メール以来、考えるとだんだんムカついて来た。

それに、ポストに入っているチラシ。
あれも本当に迷惑。
一度、チラシを入れている兄さんを見たので、要らないから入れるな、といった所、日本語が通じなかった。
そういう人達が、づかづかとビルの中に入って来ているのかと思うと危ないよね。

テレビ
2014/01/11

早退してテレビを見た。
早い時間にテレビを見るなど、本当に何年ぶりだろう。
ちょっと期待を持って見てしまう。
しかし、どうでも良い話やら、コマーシャルに分断されその合間に本編を見せられている事に嫌気がさす。
芸能人同士褒め合っているのも見ていて楽しいものでは無い。
俳優の男はジャニーズばかり。
司会やコメンテーターはオカマばかり。女の子はガキばかり。
コマーシャルフィルムは芸能人ばかり、芸能人の宣伝なのか、商品の宣伝なのか良くわからない。
映像としてプロらしさというかアイディアが全く感じられない。

とにかく宣伝の多さにうんざりして、というよりテレビを見たいと思った自分に腹が立った。

テレビを見ていると、作り手というか、テレビ側の意図がいやらしい。
まず、テレビの側の人間はあなた方観客の理想の人間ですよと、あからさまに言って迫る。
これでは世の中の子供達が働く意欲もなく、将来は有名人になりたいと思う事が良く理解できる。

局の人間として恥ずかしくないか?
もうテレビは見ないぞ。
ついでにNHKも視聴料を返せ!

って、また見るんだよな。

シュールレアリズム
2014/01/09

やる気が起こらず、仕事をしていない。本を読んだり、コーヒー屋にサボリに行ったり、ネットを見たりしている。
客が居ないと居眠りもしている。
それで、昔ノートに書き留めていた事を整理していたら、シュールレアリズムの事が書き散らしてあったので、せっかくだから整理してみよう。
あちこちの本からの書き写しであったり、繋ぎ合わせであったり、また出所が全く記憶にないので正確であるかどうかという点において保証はない。

芸術愛好家の中に於いてシュールレアリズムは過去の流行であり、芸術性に乏しいと切り捨てる人がいる。
新し物好きには特に嫌われているらしい。
しかし、これほど現代の世の中を予感し、物の価値観までも影響を残した芸術運動はない。

シュールレアリズムは絵が描かれる前に、理論が先行した。
アンドレ・プルトンの「シュールレアリズム宣言」である。
超現実、非合理の合理化、これらは人間の潜在意識の解放であった。
ロートレアモンの「マルドロールの歌」が出版され、そこには「解剖台の上でミシンとコーモリ傘の出会った美しさよ・・・」という有名な言葉が、巷を歩き出し、新しい美の価値観も生まれ、美しくも無かった物に美を取ってつける事に嫌悪感もなくなった。この偶然の出会いは、筋書きのないドラマとして、表現の自由が大いに行われるに至った。
それは過去の形態や理論の否定であり、人間の本質に迫った、すなわち神の否定でもあった。
神の否定は、「物」の価値観が人間を支配する事になり、以後現代に至る。
とどのつまり、物すなわち金、経済は思想を超えた瞬間である。

ジョンレノンが「ある若者達に取って僕らは神以上になっている」と言い、米国キリスト教徒から総スカンを食ったのも、この延長かと私は思う。

芸術家は様々な手法を駆使して理論をキャンパスに表現した。
やがてその表現は留まるところを知らず、幻想、欺き、だましの表現が堂々と、シュールという言葉を持って弄ばれるようになった。

ところで、シュールレアリズムとジャズは大いに関係があった
なぜなら、シュールレアリズム宣言は1924年であり、戦後までが大体の活躍時期なので、ジャズエイジと呼ばれた20年代からハードバップが生まれ全盛を迎えた辺りの68年ブルトンが死んだ年、が上手く重なる。
それもまた偶然であったのだが、偶然こそシュールレアリズムの真骨頂。

しかし、シュールレアリズムこそ人間・社会の行く末を示したのである。
今思えば、こういう芸術活動は二度と起こる事はないだろう、と思う。

芸術活動は絵画や彫刻のみならず、表現可能ならば何でもありになったのは、シュールレアリズムの表現以来である。
シュールは芸術家あり、流行作家あり、変態ありで、真剣に考えるとアホらしくなってくる。
だが不思議な魅力があるし、だから、ちょっと距離を置いてみると面白い。

現代作家はもっと、だな。
神が居なくなれば、お金の絵でもせっせと描いていれば良い事になる。


アベノ・ミックス
2014/01/08

いただいた飴。
アメノ・ミックスという。
味は普通の飴で変わりはない。
流石商魂たくましいものがある。

良く見ると、従来より2%以上増量しました、と書かれている。
今年の景気に期待。

ところで、自民党の先生方、衆議院選挙の際。
時々、アベノミクスではなく、アベノミックスと連呼しておられる方々が結構いらっしゃいました。
この飴を舐めたせいでしょうか?

飴を舐めても、政治を舐めないようにして頂きたいと切に願う。

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