HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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団子
2014/04/18

ここのところ、桜も咲いたし、春でもあるし、花より団子のことわざ通りに和菓子屋さんに行って、団子を買っている。

あちこち行っては、その団子を買うわけだが、あんこの乗ったものとか、みたらしとか、しょうゆの焼き団子など色々食べて昼御飯も食べられなくなってしまって、身体に悪い。
その、身体を犠牲にして考慮した結果、花見時にぴったりの団子は「三色だんご」がいい。
それで三色だんごも、あちこち試してみると、最後は新宿の「追分だんご」のが一番だった。
なぜかと言うと、ここのが一番シンプルで中にアンコが入っていない。
他の店はわざわざ中に白あん、粒あんと凝っている。
だが、花見となるとシンプルに、三色の色を楽しむものが良いように感じた。
甘さも控えめに。

なんだ、そんな話を延々と読ませたのかと怒られそうだ。
すみません。

そうそう、怒られついでに桜餅。
何処で何を買ったとか途中は端折って、「鶴屋吉信」の「道明寺」が良かった。
つぶつぶのイボロ感が嫌いと、言い張る人もいるが、上品さが良い。
もちろん薄皮の桜餅も悪くはない。

ところで、話は変わって、桜餅の皮に使う桜というのは、「オオシマザクラ」という。
生産のほとんどを伊豆周辺で行われていて、松崎町の会社で塩漬けにして作られるそうで、全国的に有名だと松崎町のHPに書かれているので間違いない。

また飛んで、先日のHNKのニュースで秦野で桜湯の桜の収穫が行われていた。
ここも桜湯の生産地である。
桜湯は結婚式などおめでたい席で出される桜の花のお茶のことだが、私の田舎近くの須原という村でも、かつては桜漬けで有名だったらしい。
その桜漬けはお茶にして飲むものだが、そうそう炊き込みご飯でもイケルらしいが作った事はない。
かつては桜漬けと異なる、桜漬けという漬物があったそうだ。
全く何を言っているのか分からなくなって来た。

現在の桜漬けは桜湯用、かつてはもう一つの桜漬けという花漬けがあってそれは鑑賞用だった。
どういう漬け方をしたのか今となっては、全く不明で、良家の子女が一年中見て楽しむために、桜の花の色が落ちず、きれいな箱に入っていて、一年間は新鮮な桜の花びらが鑑賞できたらしい。
作り方は、気が遠くなるほど面倒な工程だったそうだ。
一子相伝というか、作り方が伝わっていなかった。
というより、時代というか社会が欲していなかった。
思えば良家といえどそんな上品なガキなどいるはずもない。
だが、見られるものなら見てみたい。
今は昔の物語。


どうして団子から桜漬けの話になるのだろう。

DUKE ELLINGTON & RAY BROWN “THIS ONE’S FOR BLANTON!”
2014/04/17

DUKE ELLINGTON & RAY BROWN “THIS ONE’S FOR BLANTON!” PABLO 2310 721

さて、これも好きな、いや傑作アルバムの登場である。
私のようなエリントン好きにはたまらない気持にしてくれる、いや、たまらない気持になれる一枚である。

ジャケットの写真は、山高帽を被った御大が、ピアノの前に座り、例の調子でチョイチョイと弾いたのであろうか。その向こう側で、やや像がぼやけているが、ベーシストのレイ・ブラウンが楽譜を観ながら、音を併せている風景である。
ま、パブロのジャケット写真はあまり気合が入っていないと言うか、こんな感じである。
イージーな所が取り柄でもある。私の得意なまあ、いいかと。
それでも、じっとジャケットを見つめていると、二人の脳から脳波が出て、コンタクトを取っているのが解ろうというもの。
経験を積んだ者にしか、見えない。そういう事にして。

当店でもエリントンのレコードはあまり人気がない事は、よく解っている。
ところが最近、口コミでこのレコードの音が良いと評判になってきたらしく、探す人は多いらしい。
確かに、エリントンのピアノの高いキーに続くレイ・ブラウンのベースの音は、音圧もあり聴き応えが十分ある。
曲はエリントンの曲だが、二人だけであり、いつものメンバーによるエリントン・サウンドが無い分、彼の作品の中では異色である。
B面も、一音一音無駄なく、二人の呼吸は見事で、相手の空白部分にも神経を使っているのが良く分かる。
レイ・ブラウンは、相手が替わると世界に二人といないような天才さを見せる。
レイ・ブラウンの強い個性があるせいかもしれないし、二人が互いに脳波でコンタクトを取り合っていなければ、ここまでの演奏はできない。

このアルバムのタイトルは、「この一枚はブラントンへ」となっている.
そう、昔からのエリントン・マニアなら解ってくれるよね。
40年初め、亡くなったベーシスト、JIMMY BLANTON(ジミーブラントン)はエリントンバンドにいたのだが、それだけの理由では、ここまでの作品にはならない。
調べてみると、奇しくもまた、ジミー・ブラントンは、レイ・ブラウンの師匠でもあったようだ。
なあるほど、これは二人の想いが、ここに結実した作品と考えてよいのであろう。
二人が演奏する前、ジミー・ブラントンの話をしたであろう。
「あいつは、こんな4分音符をベースでこんな風に8分音符分で弾いたんだよ」
などと言ったかもしれない。いや、言ったと私は思う。
そうでなかったら、こんな作品は生まれなかったと思う。

1972年、エリントンが75歳のときの作品である。
しかし、いとも簡単に弾いて見せるよな。


日記
2014/04/16

私の書いた日記は、ブログになっていないので、当然誰からも反応はない。
反応が無いのは楽である。
楽ではあるが、書いたぞ〜! ここぞと言う時に何も反応が無いのは、ちょっと淋しい。
人間、そういう都合の良いようにはいかない。
すべて自分の撒いた種、という通りにしかならない。

時々、合った時に知り合いが日記について一言くれる。
それは。
「あそこね、字が違っているよ」
ハイ。

山吹
2014/04/15

新宿のうす汚い街にいても、やさしい春の訪れもあって、こころは和む。
山吹を見たり、野良猫に声を掛けたり散歩が出来て、ありがたい事である。

今朝は、八重の山吹が濃い黄色の花を目いっぱい咲かせていた。
山吹の色の濃さと言うのはほんとうに不思議な濃さだ。

って、考えなくても、山吹の色は「やまぶき色」と言うのだったわい。
そういえば、侘び寂びの世界から、俗世間の話になってしまうのだが。

車のボディカラーで黄色という色を探すと、実はほとんどが山吹色系になる。
まず派手という事もあって敬遠されるので、絶対数が少ないのだが、レモンイエローなどいう車はほとんどない。
それは黄色の塗料の特徴だそうなのだが、染まりにくく、上手く色が出ないそうで、それでまず白色を塗るか、黄土色を下塗りするかして、それから色を載せるのだそうだ。
結局は作業効率において山吹系の色になってしまうという事らしい。
最近は新しく塗料が出ているかも知れないが、かつてはそういう事だった。
因みに私の車は黄色。



BRUNO MARINI “BRUNO MARINI 4”“LOVE ME OR LEAVE ME”
2014/04/14

BRUNO MARINI “BRUNO MARINI 4” LIA MODUGNO LMJ3333
BRUNO MARINI “LOVE ME OR LEAVE ME” LIA MODUGNO LMJ3338

なんという幸運な今日。
こんな出来の良いアルバムが2枚も入荷するとは。

さて、ブルーノ・マリーニと聞いて、おっ、と歓声をあげる方は相当のマニアである。
コレクターなのである。
一遍に2枚のアルバムのこと等書けないと思ったが、演奏は本人であり、レーベルも同じ、更に「LOVE ME OR LEAVE ME」の方は知らなくても当たり前で、ほとんど紹介された事もない。
であるからして一遍に行く。

まず、天使のジャケット。タイトルは「ブルーノ・マリーニ 4」という。
天使と言ってもなんだかセクシーで、流石イタリアと思わざるを得ないが、天使の胸のふくらみに目が行ってしまうのだ。
その天使はサックスの口に座って、美女のセクシー天使の羽根は蝶のように妖艶で、しかも髪は風に舞い乱れ、辺りは雲が立ち込めて来た様子である。
黒字に白い線画で書いた所に、只ならぬ音楽である言っているようで、並々ならぬ才能をジャケットから感じる。
このアルバム・デザインはマニアにはかなり有名になった。
それは、雑誌ジャズ批評の「ヨーロッパ1800」特集、その233ページ、上から2段目に写真が掲載されていて、気になる絵だが、これは一体何だと評判になったのである。
本文の説明書きは、別段どうという事は書いてなくて、ただバピッシュだと書かれているが、バピッシュなどと言うかよ、とチャチャを入れないでおこう。
まあ、ヨーロッパ・ジャズにしてはナイスな4ビートだという事である。
古い演奏かと思えば、1985年録音で新しいレコード。
先程の通り、演奏はいたって4ビートのハードバップで、彼はバリトン・サックスを吹いていて、非常に親しみやすいメロディなので大いに奨められる。
私も数えきれない程、イタリアに通って入荷はたったの2回である。

もう一枚の「LOVE ME OR LEAVE ME」の方は、何処にも紹介された事はない。
ジャケットはダビンチの顔というデッサン画を用いている。
イタリアならではのデザインという事になる。
こちらは、バリトン、ベース、ドラムの3人編成で、8曲ほとんどスタンダードばかりで、これまたムーディーなバップである。しっかり耳を傾けるに値する作品である。
このジャケットは、有名な例のオランダ人「RUUD BRINK」の「IN VERONA」と同じジャケット、すなわち4つ折りの作りである。
そう、このLMJというレーベルこそ、ブルーノ・マリーニのスポンサーというか関係者のレーベルと言って良い。
ルード・ブリンクはブルーノ・マリーニに誘われてベローナに行き、このレーベルで録音をしたのである。

今回の2枚のアルバム、両方とも音質は大変に良く、低域の伸びはあり、オーディオ的にも楽しめるはずである。
ジャズ・マニアにもオーディオ・マニアにも、お誂え向きのサウンドである。

文明堂「焼き立てどら焼き」
2014/04/14

買ってきた。
新宿文明堂の「焼き立てどら焼き」。
朝11時に行って。
一昨日、午後2時過ぎにわざわざ行った所、店員さんが、申し訳なさそうな表情を顔いっぱいに現して「売り切れました。申し訳ありません」と頭を下げる。
それならばと、今日は早く行って「焼き立てのドラ焼、ありますか?」
「はい、今上がりました」
ほっと胸を撫で下ろして、有り難く頂いて参った次第。

パッケージには、「品名 焼き立て黄金三笠山」となっていて、焼き立てである事を強調している。
食べれば、きじの焼けた香ばしさと、あんこの甘さのハーモニー。
お口の中がパラダイス。
オジサン幸せ。

実は新宿・伊勢丹にも文明堂の焼き立てドラ焼は売っている。
売っているのだが、企画違いというか、大きさも小ぶりで、味わいも薫りも若干異なる。
オジサンはしっかりと大きいドラ焼きが好き。

ただ、新宿の文明堂は店がちょっと不便というか、丸の内線新宿御苑駅なのだ。
新宿とは言え、ほんの少々殺風景な通りで、地下鉄の駅を出て階段を上がると、朝鮮人参で有名な正官庄と言う店を観ながら、歩くとコーヒーを焙煎していて、薫りだけで飲んだ気になる店の前に立つと、その斜向かいにある。
あの文明堂の店がこんな質素な佇まい。
100年も長く続く店は、決して派手にしないんだわ、と感心する。

そういえば、文明堂は東京においても、新宿、麻布、銀座、日本橋もたしかあったと思うが、一杯あって解りにくい。
だが本家は長崎文明堂であって、いまでは企業規模は比べるべくもないのだが、文明堂の社員に言わせると、尊敬の念を持って顔を立てると言うか、企業の中心に置いていると言うから、長く続く企業は素晴らしい。
オーナーをさっさと追い出して、俺たちの出世の場にしようとしている最近の企業とはエライ違いである。
そうそう、店や会社はそれぞれの商品作りがあって、やっぱり解りにくいが、宣伝となると、これはひとつで、例のあの有名な「♪ カステラ一番、電話は2番、3時のおやつは文明堂〜♪」となって締る。
電話番号はホントウに2番だから。

戦前から、こういったコマーシャルに先見の明があった経営者と言うのはすごいものだ。

SONNY CLARK “TRIO”
2014/04/13

SONNY CLARK "TRIO" TIME RECORDS S/2101
(MAX ROACH・SONNY CLARK・GEORGE DUVIVIER)

去年、大好きなアルバムとしてこのレコードのモノラル盤SONNY CLARK TRIOの事を書いた。
ステレオ場も一緒に入荷したら、一緒に書く事が出来るのでそう願っていたが、こういうレア盤はそう簡単に話が運ぶものではない。
今頃、ようやくステレオ盤の方が入荷した。

さて、このレコード。
内容は同じだと思われるが、思われると言うのは同じかどうか確かめていないから。
よくあることだが、編集違いとか鋏の入れる箇所が異なっている事は度々あるから。
しかし、ジャケットに関してはモノラル盤のそれを使用していない。
似た絵ではあるが、比べると、タイトルからして全く異なる作品である。

ただデザインが、個人的に不満が無い訳ではないが、今更会った事もない社長に怒ってもどうしようもない。
ジャケットを見ると、まず、SONNY CLARK が先頭に来ていない。あれま?
先頭に現れたのは、ドラムのマックス・ローチ。
次に主人公のソニー・クラーク。
最後にジョージ・ディビビエ。
そう、ソニー・クラーク・トリオとなってはおらず、3人の名前が上から順番に、また裏ジャケには左から順番に並んでいる。
モラル盤を作ったがソニー・クラークの名前では売れないと考えたのか、心配になった社長はマックス・ローチを頭にした。これなら売れるだろ、と口にしたのかどうか解らない。
ライナー・ノーツもまず、マックス・ローチを褒める事から始めている。
よくある事なので、別にどうでもよいのだが、マックス・ローチの名義にして売った事が成功につながったという話は聞かない。残念。

音質の事にも、触れておかないといけない。
モノラル盤(T/70010)も音は良いが、このステレオ盤も同様に音質が極めて良好である。
またモノラル盤と同様に少しのゴミが詰まっているだけで、針飛びする事があるので、要注意である。
綺麗にしてから掛ける事が良いと思われる、音質から考えても間違いない。
モノラル盤でも感心したが、これほどピアノ・トリオで音の良いレコードが他にあろうかと感心して聞き入ってしまう。
実にナチラルなサウンドで、しかも、しっかりとしたジャズらしくコロコロ感は失われていない高音質である。
ステレオ盤になっても、TIME盤は音質が良い。
モノラル盤はたいへん高価なので、ステレオ盤のこちらでも十分に楽しめる。

楽しめるどころでは無い。
スピーカーに向かうと、右側にドラム、左側にベース、中央にピアノが位置する。
右側のドラムは位置的にぴたっと納まって、シンバルの音はきちっと出る。音質的に問題はない。
ベースは左側だが、左側から中央に掛けて、ピアノの後ろに廻ったサウンド作りで、これまた実に上手い造りとなっている。
ピアノ・トリオを解っているなと思える素晴らしい音作りである。
モノラルと一味違ったサウンドは、ステレオならではの位置関係が出て面白い。
これも楽しんで頂きたい。

良いレコードとは、曲、音、どれで聴いても、良いものは良い。
本日の結論で。


CHERLES MINGUS “PITHECANTHROPUS ERECTUS"
2014/04/12

CHERLES MINGUS “PITHECANTHROPUS ERECTUS” ATLANTIC 1237

これぞ私が後世に残したいと、常に思っているジャズ・レコード・アルバムである。
これぞジャズがジャズたりえる、何処に出しても恥ずかしくない、立派な作品である。
ジャズにケチを付ける人があれば、これで迎え撃ってやろうじゃないかと、弱いくせに、つい強気になってしまう力作なのである。

ジャケットのデザインは成程、直立猿人というが如く、正にそのもの。
洞窟の壁を連想させるグレイの地に、墨を塗りたくって壁面と思える岩肌に壁画は書かれる。物語、直立猿人の始まりである。
宇宙人とも見える大型の人類が一人立つ。これぞ我が人の祖先の誕生か? はたまた、未来人か?
壁画の右側には四足歩行の動物あり、それから若干立上りつつ半人類あり、やがて立ち上がった瞬間と思える人類あり、直立猿人への過程が示されている。
俺たちの祖先はこうして出来たと、我々が習って来た人類の歴史の壮大な物語の絵画である。
左側の人が大きく、しかも宇宙服のような雰囲気もあり、1万5000年前に突然現れた未来人類かも知れぬ。
はたして人類は一度も破滅した事がなかったであろうか?いや、あったかもしれぬ。
それを知らせに来た、未来人なのであおうか。
そして、人類の成長過程を残して行ったのかもしれぬ。
核爆発・戦争に別れを告げられぬ人類の未来に対する不安あればこそ、過去の人類の生き方を知りたくなる。
現在の人はその狭間で不安を抱えて生きる。

ミンガスは人類の歴史に大いなる感動を抱き、同時に危機感を持ったに違いない。
そしてこの作品である。
人は神が作ったとは言っていない。学術的な事実あるのみだと。

さて、1956年24歳のジャッキー・マクリーンはマル・ウォルドロンに誘われ、ミンガスのワークショップに入った。ミンガスによる新しい音楽の勉強であった。
このアルバムの下段のMINGUS JAZZ WORKSHOPと記載されている通りである。
個人名でなく、ワークショップとして、新しいジャズを世に問うた作品である。
この中でミンガスは作曲システムを作りピアノで枠組みを示すこと。次は、各自はその中で最大限の自由な表現を行う事。
そして当作品をその学習目的と位置づけ、曲による風景・音・過去などを示す方法がとられたと。

さて、能書きはいい加減にして、A面冒頭に針を落とそう。
このアルバムは冒頭から実に前衛である。
フリージャズでも無いにも関わらず、聴く度にいつも前衛だと、私は思う。
これぞ前衛ジャズだと感じる。
今まで何度聴いたであろうか、仮に年に10回として40年。その倍以上聴いた。
しかし感動せずに聞いた事は一度もない。
ソロは絶えず人から人へ渡り、各々がアイディアを凝らして、曲を盛り立てる、有る時は心地良いサウンドが流れ、ある時は力強く迫る。
なんという素晴らしい、このワークショップのサウンド。
ミングスのベースは低く唸る人の如く。
そしてジャッキー・マクリーンは引き裂かれるようなサウンドを持って、これでもかと不安感を煽って見せる。
これぞマクリーン、彼は新しいジャズを求め、サウンドを作り出していたのだ。

A面2曲目は「A FOGGY DAY」
霧の都、サン・フランシスコを髣髴とさせるサウンドで、街中の喧騒なサウンドを表現して聴かせる。
アメリカ中に増えてしまった自動車は道路と言う道路を、クラクションをこれでもかと鳴らして走り回る。
濃い霧の中、更にクラクションは鳴り自動車は互いに会話をするかのようにけたたましい。そこにポリスが割って入る。
自動車がサン・フランシスコを走り回って、ガレージにたどり着いたところで、曲は終わる。
何が起きても、知ったこっちゃないさ。
都会暮らしの楽しさよ。
雑音など気にすまい。
巷の騒音、騒音こそ、これぞ私の落ち着く「沈黙」であると。

B面1曲目はなんとタイトルが「PROFILE OF JACKIE」である。
いかにミンガスに、マクリーンが可愛がられ、期待されていたか解るというもの。
当作品のマクリーンの一が象徴されている。

書きだすと、いつまでも私の心の中のミンガスやマクリーンへの想いが尽きる事はない。
長々と書いても仕方ない。

ハっと我に返る。
仕事が忙しいんだよ、私は。

森は生きている
2014/04/11

音楽の話だがジャンル違いで。

当店のシンガー・ソング・ライター吉田洋平が録音も終わり、音作りも終わっていよいよCD作成の最終段階に入った。
ようやく彼のセカンド・アルバムがリリースされる事になった
乞うご期待。

ところで、吉田の音楽仲間に年齢は離れているものの岡田君という優秀な大学生がいて、彼も時々当店に来られるのだが、これがまた素晴らしい才能を持っている。
数か月前に、彼のバンド「森は生きている」というのだが、CDをリリースした。
それが非常に出来が良くて、もうメジャーの作品で、私もビックリ。
こうなると私などは「森と動物園」と言いそうになるが、それはそれ置いといて。
店で聴かせた人、みな驚く。
レコード会社では発売と共に好評で、3回追加プレスしたと聞いたが、その後は聞いていない。
おまけにライナーノーツが小さなブクレットになっていて、ちょっと廃盤を彷彿とさせるのである。
オジサンもちょっとソソラれる。
吉田洋平共々頑張って欲しいミュージシャンである。


先日来られたお客様と世間話をしていて、最近何か良い音楽ありましたか?と聞くと。
「ありました、某店店内で流れたCDがあまりに良くて、これなんですか?と聞くとこれです。という事で一枚買いました」
「良かったですね」
で一旦話は終わって。
ジャズのレコードを買われて、袋をお渡しして、その後。
だってまずはジャズのレコードを買っていただかないと、ウチも商売だからね。

おもむろに「こんなCDが出てますが知ってますか?」とジャケットを出すと。
その方、驚いて「それ、それですよ、良かったCDって」
「はあ?」
お互いに驚いたのであった。
しかし、大したミュージシャンだ、森と動物園。
じゃなくて、森は生きている。

木曽義仲
2014/04/10

歴史の話で。
私は木曽義仲が大好きだ。
海に向かって好きだ、と叫ぶほどではないが歴史上の好きな人物である。

ところが、昨日掃除中に出て来て、読み始めてしまった小林秀雄「真贋」という本を読んでいたら、平家物語について書かれた一文があった。
木曽義仲というか、松尾芭蕉の事にふれていて、「芭蕉は義仲が好きだった。なぜこれほど優れた自然詩人が、自然を鑑賞した事など一度も無かった義仲を好んだか..。」という文があった。
これを読んで、私は猛烈に怒った。

それには、地元という意識は無い訳では無い。
子供の頃から歴史が好きで、本を読んだり、学校の歴史で学んだりしているうちに、鎌倉時代が大好きになり、東京に出て来た事もあり、最初はカメラなどを持って鎌倉によく行った。
七里ヶ浜、頼朝の墓、実朝が暗殺された銀杏、政子の墓、等を廻っては感動していた。
だが本などには義仲の事はほとんど出て来ず、義経ばかりがなぜモテる、という思いが沸々と湧いて来て、更に本を漁っていくと、京の都で山猿と馬鹿にされ、ついに頼りにしていた頼朝、義経の兄弟から追われ、殺伐とした不幸に観まわれた身内で殺し合う源氏一族によって、遂に近江の地で短い命を落とすという悲しい人生。

木曽の出の義仲はどうせ山猿だから、自然の美しさなど解るはずもないと、自然を鑑賞した事もないと、高をくくった言い方にどうしても許せない。
こういう小林秀雄のような日本を代表する評論家の立派な方でさえ、義仲は田舎者だから、自然を鑑賞した事など一度も無かった馬鹿に違いないと、こういう概念の上で書くのか。
だとしたら、田舎者は全員馬鹿か?

今回ほど怒った事はない。
でも、本人は死んでるし...
じゃあ、まあ所詮評論家等こんな程度という事にして小林秀雄の話はおいといて、
あっさり置いてしまうには惜しいけど、まあいいか。

しかし、義仲は凄いのだ。
平氏打倒の革命の合図に一族が時期を伺っている中、一早く兵を挙げ、英知を絞った戦略で次々と平家を撃破したのは義仲である。
まだ平家の力が強い内に、平家を打ち破ったのは義仲である。
それを京の都の公家たちの政局や、今で言ううマスコミの悪巧みに利用され悪評を垂れ流され、義経などが横取りして、血の繋がった身内に殺される。
兄弟は他人の始まりと言うが如し。
義経など最後の抑えにリリーフとして出て来たに過ぎず、芝居やドラマの中に言われる程、戦略家として優れている訳でもない。
鎌倉にいただけの頼朝など武士でもなく、政治家としていたに過ぎない。
そう思うと、義仲はハンニバルのような武者だったのだ。
武者こそ軍人で、軍人は戦いで死ぬもの、という事を教えてくれている。

やっぱり中央出身者には、昔からその後の作家たちは良いように書くわけで、どうしたって敵わない。
世の中とはそういう事。

そうそう、芭蕉と義仲の墓はお隣さんらしい。
一度行かないと。

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