HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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GEORGE RUSSELL “THE ESOTERIC CIRCLE”
2014/05/13

GEORGE RUSSELL “THE ESOTERIC CIRCLE” FLYING DUTCHMAN FD-10125 (USA)

久しぶりに、熱い血がたぎるアルバム。
最近は滅多に入荷する事が無くなった。
こういうレコードが珍しくなったという事は、これも時代の流れか、と思うのだけれども考えれば、このアルバムの録音は1969年であるから、すでに45年は経過した訳で、珍しいのが当たり前。

このアルバム、アメリカで発売されたのだが、メンバーを見ると全員ノルウェー陣。
ちょっと食いつきにくいと思ったが、私は仕方なしに購入した。
当時はジャズの学習意欲に燃えていたから。

さて、もう一度、メンバーを見よう。
JAN GARBAREK, TERJE RYPDL, JON CHRISTENSEN, ARILD ANDERSEN, あれまあ、ECMのレコードの録音でも始まったのかしらと思ってしまう。
しかし70年当時、既にノルウェーに置いては、世界の見えない所で、現在のジャズ王国に向かっての下地が着々と築きつつあったのだ。

私が店を開いたはいいが仕入の当てが無く、仕方なしにヨーロッパ各地を放浪して歩いた。
税関で止められたりしながら。
そして当然、我々には未開の北欧にも足が向いて、ノルウェーの首都オスロから、スエーデンのイエテボリ・ストックホルム・マルメ、フィンランドのヘルシンキとレコードハンティングをしていたわけだ。
そのオスロでなんだか、ジョージ・ラッセル関連のレコードが目に付く。
面白がっているうちに、ふと現地の人に質問してみた。
すると、ノルウェーにおいては、ジョージ・ラッセルと言う人は神様のような存在だった事が解った。
話によると、64・5年にスエーデンとノルウェーに数年間も滞在した。
どちらの国が最初だったか忘れたが、たしかスエーデンだった気がするが、そこでワークショップを作り、新しい彼が提唱するジャズ理論を教えた。スエーデンにおいてはその後を追ってドンチェリーなどが来て、新しいジャズ運動が進む。

ノルウェーでは、彼にとって最高のメンバーを獲得する事になった。
それがこの作品の彼等である。
ガルバレクはちょっとコルトレーンのようなサックスを吹きモードを習得していた。
ギターのリピダルはロック出身だが、卓越したテクニックと個性的な音楽性が注目された。
ドラムのクリステンセンは体育会系とも思える力技で、ラッセルのリズムの表現に必要な人材だった。
アンデルセンも土台を保つ、音楽性においてピッタリだった。
そのワークショップの完成がこの作品である。

日本で我々がアート・ブレイキーを聴いて喜んでいた頃、すでにこんなモードの新しいジャズが試され、アメリカの新主流とも異なり、ヨーロッパに起きたフリージャズ、更にこれまたヨーロッパで多くの若者を獲得して行ったロックをも取込んだ、ジャズの一大ムーブメントであった。
うんん、ノルウェーに限ったムーブメントか。
やがて70年に彼はアメリカに戻るのだが、特にノルウェーにおいては、ガルバレク等の高い音楽性に目を付けたECMレーベルが、一同を引込んで今に至る、と言う流れになろうか。
このメンバー以外に彼の教え子たちは多く育って、その人たちが、現代の世界のフリージャズ界のリーダーだと言っても過言ではない。

そういう基盤をたった5年で作ってしまった彼の理論と、それを行動に移しジャズにして見せた、メンバー彼等の音楽性の一致は、人の出会いの奇跡だっと言える。
恐るべし、ノルウェージャズ。
当時これから起こりつつあった音楽性、前衛音楽、電子音楽、激しいリズム、ロック等々、先取りして行ったまでと言えばそうなのだが、それらを冷静に分析しながら取込んで行った気配があって、やはりこれは普通の人には出来なかった音楽なのだと思う。
聴いていると、フリーフォームの要素と情緒とを巧みに織り込んでいて、ノルウェー恐るべしと改めて思う。
現在に繋がる、ジャズ芸術の力作である。

私は時々思う。
もし当時、ジョージ・ラッセルが日本に来てとしたら、同じくこういう展開になったであろうかと?
答えは簡単できっと、ならなかったと確信する。
それは彼がアメリカを代表するようなブランドでは無かったから。
コルトレーンにばかり目が行っていた時代でもある。
そんな時にノルウェーのジャズ関係の人達は、何故ゆえにこの人に従おうと思ったのか。
それは国民的な音楽レベルの高さであって、ブランドにごまかされない能力と、寒い国の人達の持つ、冷徹な目が、ラッセルの能力を見極め、そして受け入れたのだろう。
と思わざるをえない。
改めて、おそるべし北の国。

文明堂のどら焼き
2014/05/12

文明堂のどら焼き。
先日、文明堂のどら焼きについて書いた。
その時、伊勢丹のと新宿御苑本店のと味がちょっと違うと書いた。

そうした所、反響はやっぱり何もなかったが、偶然と言うか何というか、文明堂の社員の方と知り合って、ここぞとばかりにひつこく問い詰めた。
嫌々ながらも白状させると...。

こんな状況らしい。
新宿本店の工場では三か所に卸している。
まず伊勢丹、ここは伊勢丹のバイヤーさんの意見を反映して、伊勢丹のお客様
に受けるように作っている。
新宿本店で売っているものは、元来ここで作られたレシピ通りに作っていると。
最後に何と東京駅。
ここは別にどうこう指図する人がいなかった、それで職人さんが考えたレシピで作っているらしい。

という事は、粉の産地も違えば、小豆も同じ地方でも農家が違う、三者三様の味わいになるそうだ。
私はまだ、東京駅のを食べていないので、どれがどうと書くことが出来ない。

だれかレポートして欲しいのだが...。

ipadの親戚のような
2014/05/11

ipadの親戚のような電子書籍なるもの。
最近は結構売れているようだ。

ところで、私はカーナビで運転するのが結構苦手。
以前のように地図を見ていた頃は全く不自由がなかった。
カーナビがどうも、良く分からない。
狭い範囲しか示さないので、本当は、違う道があるのではないかとか、信号待ちの長い場所しか選択肢がないのかとか、考えてしまうと、徐々に不愉快になる。
私は地図が読めない訳ではない。
地図は、学校で地理が専門だったのでよく理解しているつもりだ。
自分で行くべき道の組み立ても出来る。
それがカーナビとなるとどうも上手く、私の通りたい道と一致しない。
左方面、右方面等と言われてもしっくりこない。
きっと印刷された地図と、ナビは異なる事が良くわかった。

さて、本ではなく液晶画面で見る本。
あれは、どう考えても本ではないので、本が大好きな私には、どうにも好きになれない。
買おうと思ってヨドバシやビックカメラに行ったが、駄目そうだ。
私は本が好きなので、画面ではあまり見たくない。
読み終わった気に入った本は、本のまま、本として手元に置いておきたい。

何?本は場所を取るからだと。
だから良いのだ!

カーナビと電子書籍は同じようなものだと思った。
「本」や「地図」が嫌いな人達のために、作られた物だと思った。
うん。

ここのビル、
2014/05/10

ここのビル、レコード屋が一時は、10店もあった。
という事は家賃の安いビルだったと言うことで、早い話が、古いワンルーム・マンションのビルである。

ビルの裏側はゴミ捨て場になっている。
以前から、上層階の上の方から、ゴミを投げ捨てる人達がいて、時々問題になっていた。
そういう時に、管理組合の人達の間で、必ずレコード屋が悪者になるようで我々に注意が来ていた。
張り紙もあって、見つけたら罰金100万円などと書かれている。
管理の理事長の話などから察すると、レコード屋がマナーを知らない非常識の温床と思われていた節がある。

近年、レコード屋が衰退していくと、反比例して入居の数が多いのは、外国系のマッサージ店。
一言で言えば中国、韓国、タイのマッサージ。
夜10時過ぎになると、その店の看板がビルの前に並ぶ。
ビルの中に10店はあろうかと思われるので、派手な看板が揃うと中々見応えがある。
お得意さんの客も結構いるらしく、酒の勢いを借りた男たちが、ビルの入口から携帯で電話して、入館方法を訊いていて、深夜、続々とは言わないまでも入って行く。

店子は相当数、外国系の経営者に変わってきた。
それでか、今日も上の階から、中国語の新聞が大量にドサッ、バサッ、と束ごと、山になるほど、捨てられる。
辺り一面新聞が広がって通路は通る事は出来ない。足の踏み場という表現は無力になる。
益々、ゴミの投げ捨てはひどくなっている。
手すりなどにも、ゴミが引っかかって不潔。
途中の電線には新聞等がひっかかり、危険極まりない。
上の方から弁当箱などや、ゴミ袋など落ちて来ると非常に危なく、生ごみが飛び散って非常に不潔で、見ていて実に不愉快。
命の危険も無い訳ではない。
本当にひどい状況なのだが、不思議な事に管理組合は何も動かない。
みんな中国が好きだから、良いんだ。

しかし、外国人が商売をすると、日本人に通用する生活習慣が全く無力なのが、可笑しい。
そもそも違法である事は分かり切っているのだが、警察も動かない。
日本は弱い。
それにしても、日本人の男は余程、深夜のマッサージが好きなのだろう。

日産シルビア
2014/05/09

ついに、愛車との別れが来た。
シルビア14後期、ちょっと古いし、安い車で大した車でもないが、一応レーシングカー!にしていた。知り合いには族車と言われるが。
シールを剥がせば、その辺に転がっているただの車。
だが、歳は取っても自動車青春の私の拠り所であった、シルビア。

車検の時期が来て、車検、税金、保険とこれ以上お金は掛けられず、遂に手放すことになった。
不景気、地震と悪くなる一方の景気の中で、10万円の車も、遂に持ちこたえる事が出来なくなった。
探したが買手も着かず、手放すどころでは無く、廃車の危機にあったのだが、チームメイトの一人が「良いよ、買ってやるよ」という事で、引き取っていただいた。

しかし、淋しいものだ。
クルマ仲間でチームを作り、これで12時間耐久レースに出て、勝った事もある。
あれから4年、私はもうサーキットに行っても走った事はない。
あの8月の熱暑のレースがハードだったらしく、精も根も尽きたとはこのことで、その後体調は著しく悪くなった。
年齢、体力、すべて終わった。

だが、私の心の中には、あの日のレースの、私の周回である2時間20分の、全周回が蘇り思い出され、自然に手がステアリングを辿り、コーナーに差し掛かれば、イメージ通りに手は動き、足はアクセルとブレーキを踏む。
もう一度、走りたい。

と、思ってももう無理だわな。

BARNEY WILEN “BARNEY”
2014/05/08

BARNEY WILEN “BARNEY” RCA 430.053 (FRANCE)

入荷!
レコード屋の親父としては、売れなくてもいいから、店に置いておきたいアルバム。
私がいつも言う所の、ヨーロッパを代表する高音質・高音楽盤の二枚、例のイタリアの「NIGHT IN FONORAMA」と、もう一枚はこの「BARNEY」にトドメを刺す。
故に、高音質に付き物の色々と問題を抱えた盤質も出て来るのだが、何があろうと、ヨーロッパ・トップクラスの出来と、メンバーと、音質と、レア度になろうか。

彼バルネは、当時フランスの50年代を背負って立つ、テナー・プレイヤーになりつつあった。
56年にジョン・ルイスとサッシャ・ディステル共演のアルバム「AFTERNOON IN PARIS」に参加し、新人ながら、二人を食ってしまう活躍を見せた。
地の底から浮かび上がるように割って入ってくる、彼のテナー・サウンドを聴いて感心した人がいるはずに違いない。
思わなければ、今一度聴かれたい。
57年には弱小レーベルだが「GUILDE DU JAZZ」において、リーダー作を作った。
つづいて同じ57年には「TILT」を。
20才と思えぬ出来である。
そして、50年代終わりに向かって、彼にとって運命的かつ能力を世界に知らしめる出来事があった。
マイルスが単身フランスにやってきて、ルイ・マルの映画「死刑台のエレベーター」の音楽の仕事を受けたのである。
私の、フランスの知人の話によると。
「マイルスはスタジオにやってきた。打ち合わせが始まり、メンバーの話になった時、誰かテナーは居ないかといった。
先方が、ちょうど今、一人スタジオに遊びに来ているのだが、ちょっと聴いてみますか?
マイルスにしては新人なので、ちょっと吹いてくれと言われて、バルネはさらっと吹いて見せた。
バルネは言葉を待った。だが、マイルスは音楽について一言も言わなかった。
ただ一言、明日から付いて来れるか?と。
バルネはイエスと言った。」と。

こうして、マイルスに付き合って演奏し、一緒に歩き、オランダなどにも同行して演奏の記録を残した。
それが彼の自信になったと思う、フランスでも人気の、マイルス楽団の一員として、立派な相棒になったのだ。
アメリカのジャズメンに注目を浴びたのか、58年には、ミルト・ジャクソンとの共演し「JAZZ SUR SEIRE」を吹き込んだ。日本ではあまり騒がれる事がないが、実は大傑作である。

そして、ついて59年4月、ケニー・ドーハムらが来仏し、このアルバムの録音となる。
ヨーロッパいや、ジャズの世界屈指のアルバムの誕生の瞬間である。
当アルバムが発売され、モダン・ジャズの輝かしい50年代は幕を閉じる。

さて、ジャケット写真を見よう。
37年生まれの、20才そこそこの天才の彼は写真の中で紫の暗闇の中に浮かぶ。
右側には漏れた光か、はたまた彼のオーラか、陶器の釉薬が白くなって現れたかのような幻想が感じられる。
上着を掴み肩に掛けて、無造作な様子を装っている。
しかし、メガネをかけた神経質そうな様子で、何よりもまだ、あどけなさが残る。
しかし、良く見れば若くあろうが、彼の顔からは冷静沈着な性格もまた見て取れるのだ。
さすが、これから世界に残るアルバムを作ろうとしている若者の凛々しい立ち姿である。
惚れ惚れする、良いジャケット写真である。

薄く柔らから髪質のジャケットを丁寧にひっくり返し、裏面をみると、DUKE JORDANとKENNY DORHAMのアメリカの大物の前で、やや痩せてはいるが、堂々と吹いている彼の立ち姿がある。
ドラムはフランスを背負って立つDANIEL HUMAIR,。
文句の無いメンバーである。

曲は「Besamo Mucho」「Jordu」など、スタンダードで親しみ易い曲でありながら、演奏はバリッとして見事。
サウンドはガツンと脳天に響く。
昔のスイングジャーナルに確か「LadyBird」が最高で、その理由がピアノのプレイが見事だからというものだった記憶がある。もちろん、その通りであるが、それにも増して、バルネが素晴らしい事の方が重要なのに、とその「KY」さに、私はムカッと来た記憶がある。
ここはピアノを褒める場面ではない。
バルネは何度聴いても飽きることがない。
彼のサックスは刺激的かつ柔軟さを持ったサウンドで、出てくるメロディが素晴らしく、音と音の繋がりに並々ならぬ才能を持っている事がわかる。
デューク・ジョーダンのプレイはそのバルネのプレイに刺激を受けた結果ではなかろうかと私は思うのである。
マイルスとの共演を経て、アメリカン・ジャズを見切ったであろう、そして得た物は大きく、彼の体内のジャズ脈動は大きく打ったはずでこの作品には、そういう力が現されたものである。

アメリカのハードバップは50年代にみんな良い物が出来てしまった、という人がいるが、世界的に見ても、そうなのかもしれない。
彼はこの後、フリージャズに行くが、やがて晩年に向かって4ビートに戻る。
しかし、どの時代の多くの作品を聴いても、一流である事は間違いない。

出来る男は、何をやっても出来るのである。
世の中はそういうものである。



GUSSE ROSSI “LIVE AT GROOVY”
2014/05/07

GUSSE ROSSI “LIVE AT GROOVY” KOMPASS KOLP43 FINLAND

同じレコードであっても、テナーサックスがリーダーのレコードはジャズ・ファンにとって格別なものがある。
他の楽器も良いけれど、どうしたってテナーのアルバムがあると、目が行く。
ジャズという音楽の宿命のような気がする。
このアルバムもシルエット的にテナーサックスを咥えている写真の右側に、タイトルと名前が書かれているモンクロのジャケットで、これはソソラれるジャケットである。

さて、そんなテナーサックスのワンホーンの一枚。
グッセ・ロッシという名前のプレイヤー。
例のジャズ批評の「ヨーロッパ1800」を見ると、あらま、不思議! 載っていない。
載らなかったほどの珍しさという事か。うーん。

彼の事は余り知られていないし、ネットにもほとんど出て来ない。
分かる範囲で書くと、本名はGustaf Olavi Rössi。1928年生まれ、97年に亡くなったフィンランドのテナー奏者である。
作品は他にもあって、RCAから「I'M STILL HERE」という作品があり、こちらは時々出て来るので売った数は多いが、なぜか、AT GROOVYと同じ1977年の作品である。

ところで、このLIVE AT GROOVY というタイトルに記憶の方は、ヨーロッパ・ジャズ好きな方だと思うが、シャフラノフ(Vladimir Shafranov)のピアノ・トリオ名盤に同名のタイトルがあって、それも同じKOMPASSレーベルなので、納得されるはずである。
両方とも、ヘルシンキの有名クラブ、GROOVYでのライブ演奏だったのである。シャフラノフのアルバムは日本でも再発されて有名になったが、こちらのロッシの方は再発されなかった。

さて、メンバーはフィンランドの主要メンバーが集まっていて、ドラムがCHRIS SCHWINDTとなっているのは、有名なクリチャン(Christian)・シュインドのことである。
ベースのPekka Sarmanto(ペッカ・サラマント)は同国を代表するプレイヤーでヘッキ(Heikki)の兄弟。Teuvo Suojarviもベテランのピアニストである。

テナーのロッシは、ズート・シムス系のウォーム・テナー。
聴き飽きない味わいの、心地よいムード・テナーである。
ここでは、ミディアム・テンポとスポー・テンポに終始して、これもテナー好きにはたまらない魅力である。

ところで当店としては人に言えないが、このアルバムは仕入に置いて、大変に面倒な一枚なのである。
まず現地でも高額であること。
次にプレスミスがあって、ニキビなど点々とある事が多い。
そして、B面に全く異なる音楽を入れてしまった、本当のプレスミス盤もある。
高額なお金を払って仕入したはいいが、帰国してガッカリという事もある。
なにより稀少盤という事があるので、つい手を出してしまう。

何を信じて仕入れして良いか分からない。
そんな売るに売れないレコードが店のバックヤードにはあるのだ。
残念なことである。
店の経営は思ったより儲からないものなのだ。


AARON NEVILLE “WARM YOUR HEART”
2014/05/06

AARON NEVILLE “WARM YOUR HEART” A&M (EU)

ジャズではない。有名なソウルの一枚。
最初はタワーレコードで購入したCDであった。
レコードは発売がないとされていたが、ほどなく、やはりというか発売された。
やはり発売されたか、と悔しい思いをして、買い替えた記憶がある。いや、買い足した。
90年頃発売されたこのアルバムは個人的に非常に好きなアルバムで、なんども聴いた。

ところで、私がここに店を開いた頃、近くのレコード店の店員でかつ、仲良くしていたクラブDJがいた。
3月も終わりに近い日、彼が来た。
「明日、DJの仕事に行く。 ガールフレンドが大学を卒業するのだけれど、卒業のお祝いに何か良い曲を掛けたい。今日の最後の曲に踊れなくても良いので、なにか、彼女のために思い出に残る曲を探している」と。

そんな時のレコード屋。
胸を叩いて、私が「取っておきの一枚があるんだけどさ、買ってくれよ」。
おもむろに聴かせたのが、このアルバム。
それが「DON’T GO PLEASE STAY」。
彼が、良いかもしれないと買って帰った。
翌日の彼の話。
「これ掛けたらさ、彼女が泣いちゃって」とニコニコ。
良かったそうだ。かなり大きな箱だったそうで、その中で自分の為にだけ流れた曲とあらば、それはウケたにちがいない。
今も仲良くしているだろうか。
ひょっとして、あの日のベイビーが..... 。 
まあ、いいか。

誰もが聴いているうちに、あの時、あの人との、想い出が心によみがえる。
成就しなかった可哀想な恋の切なさに泣きそうになる。
良い曲とは、そういう歌なのだ。

B面最後の「Abe Maria」も素敵で、心に、青春の懺悔が浮かぶ。
B−2「Close your eyes」はどこかで聞いた声だと思ってライナーを見ると、リンダ・ロンシュタットだった。
もっと読んだら、プロデューサーが彼女だった。

レコードを聴いていると、今頃になって、売らなきゃ良かったと思うが既に遅し。
という事で、あれ以来、私のレコードは棚に無い。
無いが少しは人の役に立ったという事で。

しかし、意外にも出会う事がない一枚なのだ。
うーん、これも欲しいな。


ELLINGTON”ELLINGTON UPTOWN”
2014/05/05

ELLINGTON”ELLINGTON UPTOWN” PHILIPS B07008L (HOLLAND)

こんなレコードが入ってきた。
このレコード実は、原盤は米国コロムビアの同名のアルバム(CL-830)のオランダ・プレスである。
51年に録音され、最初52年頃発売された、そのジャケットは青地に黄色の文字と、エリントンの顔を黄色の丸抜きにした、時代を感じさせる味わい深いジャケットである。
すぐその後、オーディオのハイファイ時代が到来したということで、ジャケットを替えてHI-FI ELLINGTON UPTOWNとした、タバコを手にした写真にして、上部を白い帯にした、やや斬新したデザインで、例のシックス・アイズ・ラベルで発売したものもある。

今回はそのアルバムの、オランダ独自のジャケットでデザインが面白い、バーの内部という設定になっていて、お洒落で粋な黒人達がカウターに座っていたり、壁に寄りかかっていたりして、中央に彼の写真を大きく張り出ている。
ピアノに向かって、ノリに乗っている、その顔が御茶目なのが良い。
個人的に大好きな絵柄である。
長い事、こういう趣味をやっていると、こういうジャケットが好みになる。
以前雑誌で、ジャズ喫茶のマスターのお気に入りの一枚、という特集があった。
中を見ると、「へー、こんなレコードが好きなのか、変人だなー」などと思った記憶があるが、長くこういう仕事をしていると、そういう事になりそうだ。
趣味が長すぎる事による経験で、方向が「通」に向いてしまうからである。

ところで、このレコード、大変素晴らしい演奏で、冒頭の「skin deep」からドラムがドカン・ドカン、ドタ・ドタ・ドタと猛烈なテンション。
これぞジャズと、演奏して見せた元気印。
おもわず、ファイト・一発!!と声が掛かりそうな元気なのである。
ブラスも元気いっぱい、しかし、ただの元気いっぱいではない。
ここぞという所は上品なユニゾンも聴かせる。
見事なエリントン・サウンド。
この作品は、もう一枚のコロンビア盤「MASTERPIECES(マスターピーセス)」(CL−825)と共にこの時代のトップクラスだと思っている。
その理由が一つあって、ジョニー・ホッジスが一度抜けた事があって、確か51年だったと思うのだが、その直後の録音なのである。ドラマーもルイ・ベルソンに変わった。
ホッジスが抜けたのは、ホッジスがヴァーブのノーマングランツにそそのかされたからだと言う噂があったが、そういう事は考えられる。
お前くらいの腕前で人気もあれば楽団で儲けられると。
しかし、ホッジスですらそうは問屋が下さなかったわけで、後年、再びエリントン楽団に戻る事になる。
エリントンと言う人はエライ方で、そのホッジスが抜けた時に、なんとメンバーは貸すわ、アレンジャーのビリースレートホーンは貸すわ、曲は貸すわ、己の大ピンチだと言うのに本当に神様のよな方だった。
その大ピンチともいえる時の、いわば、マスター・ピーセズの方は後半の演奏だけではあるが、いわばもう駄目かと思われた時の演奏がこれで、それも駄目どころではなく、エリントンの特に素晴らしい曲とスケールの大きな演奏と、そして見事なエンターテイメントの、アメリカトップクラスの音楽がここにある。ルイ・ベルソンの生き生きとしたドラミングをフイーチャーしたエリントンの音楽観も、演奏も、素晴らしい。
私としては、ホッジスが居ないのにここまで演ってしまったこの演奏はちょっと悔しい気もしないでもないが...、いや、ここは脱帽するところである。
他の曲、「the mooche」もエリントンの巧さを満喫し、「A列車」も心ワクワク、ついでに歌手「Betty Roche」にも感心する。

そういう、51年時の状況を思いながら聴くと、51年のエリントンも恐るべし。

人間どんな人でも、良い事ばかりではない。
ピンチや不幸はいくらでもやってくる。
そういう時に人を憎んだり、羨んだりしないで、落ち着いて、「不幸中の幸い」の人生を送れるように持って行くのが人間として、生き方のプロになるという事なのではあるまいか。と思う今日この頃。
人生目標は「不幸中の幸い」なのである。

エリントンを借りて、人生訓は如何なものかといわれると反論はないが。

エルビス
2014/05/04

時々行くサンドウィッチ屋さんに訊いた「エルビス」という名前のサンドウィッチ。
具の中身をお知らせしておこうと思って。

エルビスと言うのはエルビス・プレスリーの好物だったそうで、結構有名なものらしい。
子供の頃母親が作ってくれたものだそうで、誰でも子供の頃お母さんが作ってくれた味は忘れないものだ。

で、中身は

ピーナツバター
バナナ
ベーコン
ハチミツ

塩ょっぱさと甘さが絶妙であることは間違い。
ただし重要な事があって、それは本物のベーコンであること。
また、バナナをフォークで潰す方法もあるらしい。
一度試して、めし上がれば気分はエルビス。

自分でも作って見た結果。
まず、ピーナツバターは甘くトロッとしたものより、「skippy」のようなしっかりしたものが良い。アメリカのヤツ。

ベーコンはしっかり存在感があるようなものを使用する事。これに尽きる。
塩っぱさも必要で、よく焼いた方が美味しそう。

パンは食パンだが、甘くないものが良い。



カラオケで一曲「I Cant Help Falling In Love With You」
 (愛さずにいられない)


http://www.youtube.com/watch?v=uqv5b0UjR4g


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