HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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BMW
2024/10/16

知り合いがBMWの修理でディーラーに出した。
帰ってきたら「ドライブ・レコーダー」が消えている。
帰してくれと言うと、知りません、気が付きませんでした、とシャーシャーと言う。
だって、取り付けていたケーブルがブラブラしている、といっても、「さあ、知りませんね」の一点張り。

その話を聞いて、私も呆れてしまった。

ディーラーは新車を買った客には親切だが、他店の中古の客にはケンもホロロ。
ヒデーなあ。

街飲みの事
2024/10/15

朝、駐車場のビル管理のオジサンがいたので、街飲みの学生が残した空き缶の多さについて聞いて見た。

そうしたら、そのビルでも週末の集まりが迷惑で、防犯上も非常に問題があるので、警察に電話して取り締まってもらうのだが、警察が来るとサッと逃げて、警察が立ち去るとまた戻って来る、という事であった。
雨が降ると駐車場の中にまで張り込んで酒盛りがあるらしい。

それで、それらの人たちは一体どのような人なのかと訊くと、何と早稲田大学の学生なのだと。
私が「まさか」と言ったら。
オジサン「いや、早稲田の学生だと確認しています」
との事。

いやはや、この世も終わり。
また週明けには、私も掃除しないとな。

新入荷リスト更新
2024/10/15

本日十月十五日(火)
ホームページの新入荷リストを更新いたしました。
よろしくお願い致します。

新宿の現状
2024/10/13

コロナ以降、変わってしまって、そのまま定着した事がある。
それは街中で、人々が酒を飲んでいる事。
時には、集団で繁華街で飲んでいる。

街中で人が集団で飲酒している姿は異常と思えるが、日本では許されるらしい、という事にようやく私も気が付いた。
外国で、どこの国行こうが、外で平気を酒を飲んでいる国などない。

ハワイでも、旅行会社に注意されたにも関わらず、それを無視した日本の会社の団体客が公園でバーベキューをして、飲酒をしたため逮捕者が出た事もあるくらい、厳しいものがある。

日本は不思議な国である。
酒に寛大なのは世界一。

今朝の当店のビルの入り口付近の空き缶の様子。裏側にも沢山あって20リットリの袋が二つになった。コンビニの人は知らんふり。
片付けに腹が立つ。

親友
2024/10/11

新宿で独り住まいをしていた88才の私の親友が、病に勝てず、とうとう施設に入る事になった。
入院先の病院から、今の所は区内の施設にいるのだが、近日中に介護付きの施設、それも北関東に行くことになるという。

私が新宿に店を出して、ここで暮らし始めてから、モーニングを食べに行くコーヒー屋で毎朝合うようになり、仲良しのグループが出来上がったのである。最後はみんなで一緒に住もうと励まし合っていたのだが、私も横浜の自宅に戻り、みんな居なくなり、とうとう彼を一人にさせてしまった。
色々の事で世話になったのに、恩返しも出来ないとは本当に情けない。

彼もレコードが好きで、元々新宿で喫茶店とやっていた事もあり、唐十郎氏や美輪明宏さん等の演劇関係者が集まり、音楽の相談にも乗っていただけに、ジャズのみならず、シャンソン、タンゴ、ラテン等広いジャンルに造詣が深く、私も勉強させてもらった。
先日、アパートを引き払うからと世話人から売却を頼まれたので、当店から二人で出かけたが、膨大なコレクションで驚いた。本もよろしくと頼まれたが、埃にまみれ日焼けした本などは彼の歴史を物語っていた。

彼は、苦労続きの人生で、子供の頃に満州から引き揚げ、貨車の中で、深夜絶望した母親が子供に青酸カリを飲ませ自殺を図ったのだが、それが近くいた似た他人の子供で、自分の子供だけが生き残り、殺された方の母親は半狂乱になったのだが、見て見ぬふりをしていた話。
ある時、小さなリンゴを一個もらったが、母親は妹を見ながら彼だけに「お前が食え」と渡されたので、妹の強い視線を感じながら、三人の内一人でも生き残ればと、ペロリと食べたのだが、人生でいまだに悔い残っている話。
しかし、何より最も辛かった事は、福島県にある父親の実家へ命からがら戻ったのだが、優しい言葉もなく、それどころか親戚中から「余計な者が帰って来た」とあからさまに苛められ、子供の頃から早く家を出る事ばかり考えていたそうだ。
そうして18歳から、彼の新宿暮らしが始まったのだが、孤独な老人の就職の世話やら、病人の面倒から、死んだ時の世話でして来たのに、今自分は一人で死のうと決心をしていた。

レコードと本は私が引き継ぐにしても、なんとも申し訳ない。

白雪姫のお城
2024/10/10

今月からか、歌舞伎町のhotel groove(ホテル・グルーブ)の17階のエレベーターホールに、ジャズのレコ−ドジャケットを飾ってあるのだが、10枚ちかく、当店の推薦のレコードが飾られている。
ここのホテルはちょっと分かり難く、高層と17階までと二つがくっついているらしい。

家内と見に行って、帰りにレストランでコーヒーとケーキでも頂こうと店に入った。
店のお姉さんに、ここのホテルは白雪姫のお城のようなイメージなんだね?
と言ったら、お姉さんは「はて?」
家内が慌てて「白雪姫ではなくて、アナ雪でしょ」
お姉さん「あ、はい、そうです」

そうか、今の若者は白雪姫を知らないんだな。
時代の移り変わりの激しさよ。

漫才
2024/10/09

吉本の芸人が事件を起こして追放に。


「秋の夜の 漫才消えて 拍手消ゆ (西東三鬼)」だね。

駅のエスカレーター
2024/10/08

先日のNHKの番組、あさイチで。
エスカレーターの歩き問題があった。
二列乗車にしたら良いのではないかという話。その実験結果が興味深い。
一列乗車 8分21秒(その横を歩く人がいいる)
二列乗車 7分09秒
その差、1分12秒だったそうだ。大人しく二列で乗っていた方が、人が掃けるのが早い。

二列乗車から1列乗車になったのは1970年代後半だったと思うのだが、放送では1977年に大阪梅田駅の構内放送で一列空けるように指導していた様子が見える。

ここから私の経験。
田園都市線が二子玉から渋谷まで乗り入れたのが1977年であるから、その時から綺麗に一列乗車になり、右側を歩く人がいる、と記憶している。
NHKでは各鉄道会社の推進でそうなったと解説していたが、少なくとも喜んでそうなったのではないと、私は言いたい。

それは70年代、高度成長期の真っただ中、盛んにパリ情報が流されていたのだが、その中でパリの地下鉄では右側一列を歩く人の為に空けている、というものがあった。
朝日新聞でも文化人の意見として書かれていたのだが、朝日新聞など「日本のここがダメ」的な記事が満載で、日本たたきの一環としてエスカレーターの乗り方は、パリの真似をしろ、という論調だったと記憶している。
もちろん、テレビでも文化人が同様の意見を繰り返していたので、日本もそうあるべき!という気概にあふれた我々も、サラリーマンとしてかくあるべき、という行動に走り最初は喜んで一列乗車運動にまい進していたのである。
それが、更に電車も混雑するようになり改札口からJRまで中々歩行が進まず、これって間違いじゃなかったかと気がついたが既に遅し。

そもそも、旅行でパリに滞在して驚いた。
パリは東京ほど人も多くないし、街だって東京より遥かに小さい、歩けば近くの駅にも数分の距離で非常に近い、それなのに地下鉄網は立派で歴史も古く、従ってエスカレーターの上下の距離も短い、電車も込んでいないのだ、故にあり得る通行方法だったのだ。
我々も馬鹿だった。
東京はその十倍も多い人が動くのだ。エスカレーターだって距離が長い。
パリの人の行動など真似るんじゃなかった。
と思う今日この頃。
大体、あそこを早足で歩くのは危ない。
二列で乗りましょう!

歳取ってからの人生
2024/10/07

歳を取ってからの人生は.....

60歳を過ぎてからの人生なのだけれど,それまでの人生に比べずっと長く、
そして、ずっと重い。

60歳を過ぎてからの人生は、努力をして、我慢をしなければならない。

そうやって、一生懸命に生きてゆく。
気が付かなくても、頑張っている。

不思議ではある。




JIMMY BLANTON - DUKE ELLINGTON "DUO"
2024/10/06

JIMMY BLANTON - DUKE ELLINGTON "DUO" RCA EPA-619 (Germany)
非常にレアかつ重要なレコード・EPなので、是非紹介したい。

それで、話の順番としてこちらのレコードから説明をしたいと思う。
それは、エリントンとレイ・ブラウンの名盤“This one’s for Blanton!(Pablo 2310 721)”というパブロから発売されていて、多くの人には高音質として人気になっているアルバム。
山高帽を被った御大が、ピアノの前に座り、例の調子でチョイチョイと弾いたのであろうか。その向こう側で、やや像がぼやけているが、ベーシストのレイ・ブラウンが楽譜でも観たのであろうか、音を併せている風景である。
じっとジャケットを見つめていると、二人から脳波が出て、コンタクトを取っているのが解ろうというもの。
エリントンのピアノの高いキーに続くレイ・ブラウンのベースの音は、音圧もあり聴き応えが十分である。
曲はエリントンの曲だが、二人だけであり、いつものエリントニアンによるビックサウンドが無い分、彼の作品の中では異色である。
一音一音無駄なく、二人の呼吸は見事で、相手の空白部分にも神経を使っているのが良く分かる。レイ・ブラウンは、相手が替わると世界に二人といないような天才さを見せる。
このアルバムのタイトルは、This one’s for Blantonすなわち「この一枚はブラントンへ」となっているが、このブラントンとは誰ぞ!。
40年初め、亡くなってしまったベーシスト、Jimmy Blanton(ジミーブラントン)である。彼はエリントン・バンドにいたのだが、それだけの理由では、ここまでの作品にはならない。
奇しくも、ジミー・ブラントンは、レイ・ブラウンの師匠でもあったのだ。
このアルバムは二人の想いが、ここに結実した作品なのである。
二人が演奏する前、ジミー・ブラントンの話をしたであろう。
「あいつは、こんな4分音符をベースでこんな風に8分音符分で弾いたんだよ」
などと言ったかもしれない。いや、言ったと私は思う。
そうでなかったら、こんな作品は生まれなかったと思う。
1972年、エリントンが75歳のときの作品である。
しかし、いとも簡単に弾いて見せるものだ。
前置きが長くて申し訳ないが、それで、ここからが本題となる。
その前置き長さこそが、私の思い入れである。

ここに取り出した4曲入りのEP「DUO」、プレイヤーの書き出しの最初の名前は「Jimmy Blanton」おお!これぞパブロの名盤に出て来るジミー・ブラントンなのである。
ところが、そのジミー・ブラントン本人の作品など殆ど目にすることもない。それで、なんとか耳に出来たら良いなあ、と探していたのがこのEPである。
調べたら1940年10月1日のシカゴ録音で、元々はRCA78回転SPが2枚だが、その後仏・独でEPにしたものだ。録音はブラントンの亡くなる少し前という事になる。
音質は至って良好で、若干ベースの音を持ち上げていているので、雰囲気も良くわかる。
ベラントンのベースは40年と思えぬ非常にモダンで、スピード感に溢れた素晴らしさ。
ブラントンはエリントンにとっても大切な人だった。それは聴けばわかる。
こういう斬新なベーシストはエリントンの音楽を進めて行く中で非常に重要な位置にあった。
それが奇しくもレイ・ブラウンの師匠でもあったとは、なんという素晴らしさ。
昔から、「良い師匠を得る事は1年間の練習に匹敵する」という話を実証したようなケースでもある。レイ・ブラウンを見れば誰しも納得するに違いない。

EPのイメージの絵柄は2人の後姿になっていて、遠近法でいくとブラントンが前にいて、エリントンは向こうにいる。ほのぼのとした良い感じである。
演奏曲を良く見ると、「Pitter Panther Patter」「Sophisticated Lady」はどちらのアルバムにも入っているので、比較しやすく有り難い。
Sophisticated Ladyなどは、ひょっとするとこの曲の5本指に入る好演奏で、思わずほろっとさせられる。
Boby and soulも実に素晴らしい。

延々と独りよがりに書いてしまった。
私は、パブロのレイ・ブラウン方と、ブラントンのEPと聴きながら、感慨にふけった。
ぐっと来てしまったから、ちょっとコーヒーでも飲みに外に出よう。

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