HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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パンを焼けば
2017/07/01

パンを焼いて、ちょっと忘れてしまったらしい。
辺りが焦げ臭いので、あっ!と思い開けて見たら、真っ黒け。
あまりの見事さに我ながら感動。

真っ黒けのけ、真っ黒けのけ...
トンネル過ぎれば、まっくろけのけ....
こんな宴会の歌は、だれも知らないね。

しかし、彫刻の域である。
エヘン

YOUは何しに日本へ?
2017/06/30

今日はとても楽しい事があった。
テレビ東京の「YOUは何しに日本へ?」という番組の撮影。

それで、アメリカから来た青年が、レコードを探して日本に来たという事で、当店にいきなり入ってきて、下を通りかかったら看板があったので、とカメラ一台とプロデューサーと通訳の3人で来られたのだ。
「YOUは何しに日本へ?」は面白い番組で私ももよく見ていただけに、親しみがある。

それで探し物は「大貫妙子」のレコードだと。
私の専門はジャズなので、詳しくはないが、ミュージシャンとして優秀な事は知っている。
ひょっとすると今ならあるぞと、外人にも手伝ってもらって探し出した。
しばらくバックヤードも探したら、目当ての物が出て来て、本人も大喜び。

ところで、3時間ほども掛けた撮影も、放映するかどうかは分からないらしい。
訊けば、何しろ人気番組だけにクルーもいくつもあり、そこで撮影をした物がいくつもあるわけで、その中から良かった物を放映に持って行くわけで、社内のコンペで残らないといけないらしい。
さすがに、厳しい審査を通るだけに面白い番組は出来上がるのだとオジサン感心してしまった。
もし、その時はお知らせしますと言って、帰って行った。
オジサン、前回のNHKの撮影でもたった5秒という出演にも慣れているから大丈夫だよ。

でも、レコード屋冥利に尽きる撮影で、楽しかった。
本当に、アポなしなんだね。エライ!

(気を付けてお帰り下さい)

とうもろこし
2017/06/29

頂いたとうもろこし。

食べきれずに半分、冷凍庫に入れておいたものを、解凍してからグリルで焼いてみた。

廻しながら焦げ目が付いたら醤油を塗りながら又焼く。
写真の通りの「焼トウモロコシ」。

香ばしくておいしいなあ。

マリちゃん   (1) 
2017/06/28

  【長い話なので、ここから下に向かって読んで下さい】

20才の頃、付き合った女の子に「井上マリ」という子がいた。
昔付き合った女子の中で唯一名前を憶えている子である。

ディスコで知り合ったジョージというリーゼント・ヘアのカッコ良い不良のボスがいて、阿佐ヶ谷で朝まで遊んでいて、帰りに早くからやっている喫茶店でモーニングサービスを食べようという事になり、行った所にこのマリちゃんが働いていた。
ちなみに、ジョージは良いヤツで、ジーパンが欲しいと言えば「オー、これで良いだろ」と持って来てくれる。
新品でもリーバイスでも欲しい物を、どのように入手するのかは問わない事にしていた。

「可愛いなあ、あんな子が彼女にいたら良いなあ」と言ったら、ジョージはすぐマリちゃんを呼んで「おい、こいつが付き合いたいと言ってるぞ」というと、なんとマリちゃんが「良いよ」。
宝くじに当たったかのような夢のような、本当に付き合う事になった。
というラッキー池田な話でもなく、実は彼女は家出をしていたらしく取りあえず知合いの男の家にいたけれど、男が迫って来るのがいやで、住む家を探していたと言う事だったのだ。
と言うものの、身体も大きく大人の女のなかなかの美人。
さらに美味しいことに胸は大きく、当時の大概の服は胸が入らなかったのだ。

どのくらい美人だったかというと、マリちゃんを連れて友人と焼肉を食べに行ったら、余りに美人さにアガッてしまい食事が出来なかったと言っていたほどであった。
また一度はどこかのディスコに行った所、マリちゃんがヤクザに気に入られてしつこく誘われた。それでマリちゃんが「彼氏がいるので困ります」と断ったら、男に合わせろという話になり、怖そうなヤクザの前に私が出て行くと「お前たち本当に付き合っているのか?」「はい結婚前提です」「だったら許す」と言われ「お前は幸せだな、こんないい女ちょっといねーぞ」と太鼓判を押された事があるほどであった。ヤクザは美人に敏いから。
その後、松坂慶子の映画撮影現場を見た時に、ああマリちゃんも負けたな、と思ったくらい。

ところが、その幸せなはずの恋愛はちっとも幸せでは無い。
なにしろマリちゃんは浮気者で、どうしようもなかったのだ。

マリちゃん   (2)
2017/06/28

朝アルバイトだと出掛けて行ったものの、深夜疲れ切った顔をして帰ってくると流石にこっちも面白くない。
それで最初の内はよく喧嘩になった。
しかし、マリちゃんは一向に浮気を改める訳でもなく、今思えばセックス中毒だったのだろう。
その内にどうでもよくなって、疲れて帰ったマリちゃんに、あり有わせで夜食を作り食べさせたりしていた。
彼女はその時になるとスイッチが入ってしまい、後の事は考えなくなるらしかった。
有る時、私の友人が訪ねて来て、「直ぐにうちの人が帰るから」と部屋に入れてしまいちょっと話をしているだけで、もうヤリたくなってしまう、という程であった。
あっという間に、我々はただの同居人になってしまった。

仕事と言っても出来る事はウイトレスくらい、その上長続きはしない。
一時は私が時々行っていたジャズ喫茶でも働く事になったのだが、なんとそこのバイト仲間ともすぐに出来てしまう、訝しげな雰囲気は周囲にすぐに伝わる、何だかんだとバイト仲間の評判も落とし、居心地が悪くなり辞めた。
更にちょっと学校で習った事の話などになると、全く分からないらしく、不機嫌になり、話題と言えば芸能ニュースだけ。
一体どうなっているのかと思ってはいた。

その内に、妊娠し誰の子か分からないと困っていたのだが、バイト仲間などもカンパしてくれ病院で下してきた。
それを機に出て行ってくれと言ったのだが、ここにいたいといい、またそのまま居着いた。

またその内に、ふっと居なくなり、10日ほどでROPEのお洒落な洋服を着て帰って来て、良い男に気に入られ買ってもらったと喜んでいた。
また将来、男と店を持てると言い出したので、良かった良かったと思っていたら、また妊娠したと騒ぎだし、今度はその男に金を出させて下した。
それで、どういう事か分からないが男とは切れた。
結局男は遊びだったのだろうという事になったが、マリちゃんは一向に気にする様子もなく、相変わらずの生活で私の部屋にいた。

マリちゃんは自分の行動に反して私が買物で女店員と話しただけで、嫉妬し怒るのが不思議であった。
来てから2年近くにもなろうとしていたし、関係も無いわけで、出て行って欲しいとお願いするも、もう少し、もう少しと住んでいた。
だが、有る時どこかで探して来たか、銀座周辺のナイトクラブでアパートを借りる支度金を出してくれると言うので、ようやく、荷物などほとんどないが彼女が引越して行く事になった。

私は、性関係はなくとも別に良かったというか、人間の内面は悪くないしそのままでも良いかなあ、と思い始めてはいたが、なぜか、その時はサッサと明るく別れる話になったのは、不思議であったがきっと神様が決めた別れの時期だったのだろうと思った。

マリちゃん   (3)
2017/06/28

引っ越しの前日せめて一緒に食事でもという事になったが、そこで彼女の話が始まった。
「以前、週刊誌にあたしの友達が乗っていた話、あれはあたしだったんだよ」
それは、男性週刊誌に十代の女のセックス事情という特集で、見るからに少女が、眼帯をして写っていたのだが、それこそ芸能人やプロデューサーと呼ばれる人達や、複数やらSMやら何でもありのセックスがいかに乱れているかと言う話をとうとうと喋っていたわけで、既にマリちゃんは十代にしてセックスの達人だったのだ。
なにしろ小学生の頃から水商売の母親が連れ込んだ男とのセックスを隠れて見るのが楽しみだった言うし、中学生の頃には、毎日近所の不良が集まっては、やる事はセックスしかなかったという事であった。
その週刊誌をマリちゃんは宝物のように持っていた。

更に驚く話が。
「あたしは今18才なの」
「えっ!」私と会った時に確か高校を卒業したばかりで18才だと言っていたはずで、それでも、大人びていてどう見ても18才には見えなかったのだが、美しい顔に時々見せるブリジット・バルドーばりの「あどけなさ」は本当のあどけなさだと知った。

何も言えなくなった私に更に、追い打ちが。
「あたしの名前は井上マリではない」と。
「えっ!」
「仲良しの子の名前で、本当は李と言う名前なの、家に分かったらいけないので隠したの、ゴメンね」
本当に悲しくなった。
彼女は私が本を読んでいると、時々私のノートをひっぱりだして来て、詩を書いていた。
それが「私は井上マリ、18才」と書き始めるのが常であった。
それはきっと忘れないためのメモだったのだ。

私は性の欲求も強い方でもなく、彼女からは最も遠い人間だったのだが、思えば性の達人がよくぞ私の所にいたものだと、なにやら大いに感動した。
私は、何も知らないまま2年間 マリちゃんと一緒にいた。
マリちゃんは自分を隠し通して、2年間いた。

その後2年ほど経って、この広い東京で偶然、彼女に2回会った。
立話程度であったが、ちょっと歩きながら話した。
それによると、私の背中に時々湿疹が出来て塗り薬を付けてもらっていたのだが、それが彼女には「とても嫌だった」という話であった。

勿論 マリちゃんはもっときれいになっていた。

                    (誰か映画にでもしてくれ!)

湿気が
2017/06/27

湿気が多い梅雨の季節。
何よりも除湿をしよう。

エアコンの除湿機能を24時間付けておくとよい。
温度が若干あがるものの、風呂場などに除湿機も置くとよい。
除湿機は「水取り象さん」など問題にはならないほど、これほど空気中に水があったのかと衝撃に思うほど、朝晩大量に取れる。

本、レコード、オーディオ機器、もちろん洋服・靴など沢山お持ちの方には、強くオススメしたい。
もちろん家の中のカビは癌の元にもなる。

カビを取るのは大変だけど、生えるのは簡単にできてしまう。

LUCY ANN POLK “with DAVE PELL OCTET”
2017/06/26

LUCY ANN POLK “with DAVE PELL OCTET” TREND TL 1008 (USA) 10inch

10インチ盤の女性ヴォーカル・アルバムはレアな物が多く、なかなか見つけにくいものである。
その中でもトップクラスに珍しい一枚である。
以前、このアルバムの事を書いたはずだと調べたら、4年前に南アフリカ・プレス盤の事を書いたのだった。
あの時はイギリスで見つけたLONDONレーベルなのでイギリス盤だと思っていたらそれが南アフリカ盤だったので、余計、びっくりした。
それ以来一度も見た事はないし、まして本家のこのアルバムだってオリジナル盤は2回しか売った事がないのだから珍品である。
白人女性ヴォーカルの中でも5本の指に入る欲しい一枚である。

ジャケットが変っている。
紫の闇の中に、浮かび上がったのは後姿の美女。
女はみな美女だから。
それもイラストで、フランス人形のようと言うのか、舞踏会の女のようである。
ドレスの輪郭を黄色でステッチしてあるで、紫色とのコントラストが微かに鮮やか。
髪は微かに輪郭だけ黒く、紫の中に溶け込んでいる。
表に顔が無ければ裏ジャケに顔が出て来るのかと、思わずひっくり返してしまうのだが、そんな期待も裏切られる。
しかし、実際彼女は中々の美人なのだ、それなのになぜ故に顔を隠したのだろうか。
顔は無いのだが、なんとも妖艶というのか、不思議なジャケットである。

歌はサラッと感のある絶妙なサウンドで見事なジャズヴォーカル。
一度聴けば欲しくなる。
彼女は50年代前半かなり人気でLes Brown、Tommy Dorsey、Dave Pell等当時の人気バンドで活躍し、その後ソロでもやっていたようで、54年に当アルバム、57年にLucky Lucy Ann (Mode)をリリースしたのだが、
なぜかネットによると60年を持って引退したとある。その後亡くなる2011年までいっさい歌わなかったと言うが、そういうものか。
こんな良い歌手なので、まさかと思う所である。

シナトラ研究家の三具さんに訊く所によると、晩年に歌っている映像があったらしいというから、録音が無かったという事で、時々は歌っていたという事か?
坊主百までお経忘れず?そんなことわざあったかな?
ちがうな、
「雀百まで踊り忘れず」だった。

CHET BAKER “SINGS”
2017/06/25

CHET BAKER “SINGS” PACIFIC JAZZ PJLP-11 (USA)
10inch

チェットの最もチェットらしい素敵な10インチ。
当時のアイドルの中に入っても、引けを取らないナイスボーカルである。

チェットを語る人は多いので、今更私が何度も同じような事は言うまい。
私が感じている事は一つ、チェットとは演奏者よりも、聴衆に特徴があるのである。
そもそもチェットが人気になった50年代、アルバムを買った人たちは、普段ジャズを聴かないような人々、女、同性愛者に絶大な支持があった。

現在もチェットを好きな人達には、ある特徴があって、お洒落な人、自己主張の強い人、ちょっと変人、なによりも優しい人、そして通、と言った感じであろうか。あまり言うと店のお客様から怒られそうだ。
興味深い事にそれが他のミュージシャンとは、大いに異なる点である。

私がチェットの作品の扱いというものはこうなのだと思った小さな出来事がある。
以前、近くで廃盤屋をやっていたOさんという年配がいて、彼が当店の壁に飾ってあるチェットの後期のアルバムを指さしてこう言った。「こんなヒドイものなど聴けないだろう!えー!」とコケにしてくれた。
むっとしたが、レコード屋のオヤジにしてこの発言。
大いに驚いた。
確かに、昔の羽振りの良かった人達にとっては、後期のチェットはゴミ扱い。

しかし、世の中が進み、社会から落ちこぼれたり、世知辛さに疲れ切った人達には、これほど心を暖ためてくれる音楽も他にない。
私もチェットを好きになったのは、50歳を過ぎてから会社から落ちこぼれたり、年を取ったりしてみたら、何となく社会から外れて行く人の気持ちが分かる様になった。
まあ、行ってみれば自分も傷ついたら、チェットの音楽が好きになった、という事である。

チェットは音楽を語るより、聴く側を語った方が面白い。
チェットのアルバムは確かに、歌なども歯が抜けているのがひしひしと伝わってくる、それでも、チェットを愛しているのは、そういう人だけが理解できる暗号のような信号か?何かがあって、それを理解する人々がいるのだ。
故にチェットの音楽は存在する、解る人に解る。
結論、チェットの音楽は「チェットを語らず、聴く人を語れ」

ところでこのアルバム、12インチ盤も良いが、最初に出た10インチ盤は曲の感じもまとまっていて良い、写真も良い。
良いよなあ、こういうジャズって。
解るかなぁ?



DUANE TATRO “JAZZ FOR MODERNS”
2017/06/24

DUANE TATRO “JAZZ FOR MODERNS” CONTEMPORARY C3514 (USA)

ジャケットの凄いアルバムが入荷。
クルマのジャケットである。
意外にレアなので、クルマ・ジャケのマニアは要注意。

このクルマ、見ればカブトムシのようなデザインで、写真に写っているのが実は後ろ側である。
飛行機のようなデザインと言った方が正しい。
当時、クルマのデザインは飛行機のような翼を持っていたりして、盛んにスピード感を煽った。
しかし、今見ても、いや今だからこそ余計に素敵なのである。

さて、このクルマ、1953年のショーの為に製作されまるで飛行機そのもののデザインであった。
その後56年に2台目が作られ、従来よりファミリーも利用できるようにして、ジャケットの写真のこれがどうもそれにあたるようだ。
全長約6m,幅3mと相当な大きさである。しかし、出力は200馬力であったらしい。
ある意味 高速道路を快適に旅行できる未来カーとしてショーで人気だった事が伺える。
しかし、発売には至らなかった。

しかし、アメリカの当時の車と言うのは、本当にソソられる。
車体に羽根を生やすなど、今から思えば無駄の多い作りだが、そこがまた良いのだ。
正に 流線型=スピード感というデザインがピッタリである。

いやはや、クルマ・ジャケのナンバーワンという事で。

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