HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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ユズ
2017/12/23

我が家の庭に柚子(ユズ)がたわわに実っている。
庭木なので花柚子といい小粒である。

所が、塀の外側に一つだけなぜか大粒の通常の実がなっている。
家内が、その実を冬至の22日に採ってお風呂に入ろうと計画していたが、案の定、22日の朝見たら消えていた。
通行人も、ちょうど歩いていると、手が届く場所に成っていたので、その日まで持つかなあと考えていたようなのだが、惜しかった。
まあ、人生そんなものである。
とはいえ、欲しい人がいてくれたのも幸せというものである。

小さいのを5・6個採り、冬至の一日遅れで柚子湯につかった。


  医者通い 一日遅れの 柚子湯かな

お墓の話で
2017/12/20

今朝のHNKでお墓の話をしていた。
私など死んだら野となれ山となれの心境でいるので、その辺りに捨ててもらいたい、お墓などいらないので、どうでもよいと思いながら見ていた。

面白かったのは、せっかくお墓を買ってあっても、その墓に入れない人がいるという話。
要は本人は決めたものの、亡くなってしまうとその事を誰も知っている人がいなくて、周りの人が仕方なくどこかに決めて入れてしまう。
なんの意味もなかったというケースがあるらしい。

それを見ていて、私たちの商売も似たようなものだなあ、と可笑しくなった。
生前はあるレコードショップと仲良くしていて、一緒に食事をしていたり話し合っていたとしても、亡くなってしまうと、決定権は遺族や親せきに移るわけで、どこか適当なショップに売ってしまう。
という話。

死人に口なし。
本人にとって都合の悪い事もそうだが、重要な事であっても死人に口なし。
まあ、人生はそんなものである。


ELMO HOPE “HERE’S HOPE”
2017/12/19

ELMO HOPE “HERE’S HOPE” CELEBRITY LP#209 (USA)

さても、さても レア盤である、これぞ幻の名盤。

かつて本物など一度も見た事はなかった、そんな頃アメリカの再発盤が入ってきて、大騒ぎで購入したものの、冴えない音で、大いにがっかりしてすぐに売り飛ばしてしまった。
しかし、こうして改めてオリジナル盤を聴いてみると、出来が違っていてグイグイ来る演奏に脱帽、大いに満足である。何年振りであろうか?

エルモ・ホ−プという人のアルバムもコレクターに取って大変厄介な人である。
なにしろほとんどが幻の名盤と言っても良いほどのレア盤。
まず、53年初レコーディングの NEW FACE NEW SOUND (BLUE NOTE 5029)はトリオ名盤、
続く54年同社のQUINTET(5044)は脚立のジャケでなんとヴァン・ゲルダーの愛犬が一緒に写っているのも価値は上がる。
55年のMEDITATION(7010)はPrestigeに移動して、非常に珍盤で水色の上品なジャケである。
同じく55年HOPE MEETS FOSTER(7021)は、かつてセカンドのジャケットであっても大変な高額盤
次の56年INFORMAL JAZZ(7043)は、収録の「ポルカ・ドット・ムーンビームス」などはこの曲の大傑作の呼び声高く、めったに出ない上に大変な相場である。
と、ここまでデビュー作から順に並べただけで、とんでもない金額である。
というマニア垂涎、幻の名盤のジャズメン代表でもある。
初心者には縁のない、マニアのための作品群なのである。
という話は置いといて、この作品。
61年の録音というのだが日にちは不明で、同じ時にもう一枚作っていてこちらはBEACON(401)というレーベルから出されている、しかし、社名の書き方が違っているだけで、ジャケットの体裁はほぼ同じで、かつてはどちらが再発だのどうのと大いにコレクターを迷わせた。
さて、作品はメリハリあるコロコロとした音の運びで、また実にパリっとした良い音で、名盤・廃盤としていささかも落ちる事はない。
面白い事に演奏時間が短い。10インチにでもしようと思ったかのような、或いは一つのアルバムにしようとしていたのを、お金を出した人が二人いて、途中喧嘩別れになり、2枚になってしまったのであろうか?
興味深いところである。
さて3・4分の曲が片面3曲づつなのであるが、その内容たるや、聴けば大好きになってしまう高水準の出来である。
まあ、演奏時間が短いという事はミゾの間隔が広い訳で、音の良いのも頷ける。
再発盤とは違って、コーティングもあり、渋さもあり、いかにも廃盤然としていて、私も欲しくなってしまった。


横浜市のゴミ
2017/12/18

横浜に移って今もなんとなく憂鬱になることが、ゴミの分別。
かつて、ゴミ分別のリーダーと自負していた東京都の主婦層から、横浜はなんでも燃やしてしまう後進国と馬鹿にされていた時期もあったが、なぜかその後は逆転し、東京都が非常に緩やかになって実に生活しやすくなった。
しかし、馬鹿にされていた横浜が奮起したのかどうか知らないが、今や猛烈に面倒な街になった。
オマケに清掃員が中を開けて見るという暴挙にも出た。

その中にあって、もっとも分かりにくいのが「プラ」の扱い。
プラとはプラスチックの事かと思うので、プラスチックならなんでも一緒に捨てて良いのかと思いきや、どうも違うらしい。
それで、回覧板のゴミの概念を見ると、なんとちゃんと書かれていて「プラ」とは協賛金を払っている業者が「プラ」マークを付けられるもので、その商品群を指すものであって、それ以外は「プラ」ではないと。
プラスチックであっても「プラ」ではないこれいかに!
という話で異なる種類であるらしい。
不思議な概念である。
ただし、発砲スチロールなどはプラで出せとなっている。
うーん。

また、プラに貼った値札のタグを離さにゃと思い、せっせと剥がしていたら、家内に、その値札はプラよと言われよく見たらプラマークが印刷されている。

オジサンもう何がなんだか分からない。

SLIDE HAMPTON “THE FABULOUS”
2017/12/17

SLIDE HAMPTON “THE FABULOUS” EMI/PATHE C062-10156 (FRANCE)

このアルバムは二つとない出来映えである。
メンツを見ると、当人、ヨアヒム・キューン、ペデルセン、フィリー・ジョー。
この中から誰が抜けてもこうはならなかった素晴らしい人選である。
出来るべくして出来上がった傑作である。
今日のジャズの聴き方、そのどれにも違う事なく迎えられるはずで、クラブジャズ、レアグルーブ、前衛好き、ハードッバップ好きなど、だれが聴いても感心するはずである。

いつも言うのだが、彼はアメリカにいた頃も悪くなく、しっかりと聴けばなるほどと頷く好演奏であるが、どちらかといえば、一歩引いた印象も無い訳では無い。
と言っても、芸の経歴は輝かしいのだから、リーダー的な人達からは認められていたのだ。
それがだ、ここからが大切なところなのだが、1968年Woody Herman楽団で渡欧した事がきっかけで、そのまま残り、77年まで滞在する。
この時期こそ彼の音楽人生を大きく変えたと言って良い。
渡欧中の作品群を改めて見てみよう。
69年 当作品 the fabulous。
71年 Umea Big Band In Montreux。
71年 B & S 。
72年 Life Music (Carosello Italy)
72年 Jazz a Confronto no. 18 (Horo Italy)
74年 Slide Hampton Big Band  (Supraphon Czecho)
その他、MPS等にも多くの演奏を残しているが、何しろ欧州滞在の出発点のこの大成功が大きかった。
その勢いは続き、スエーデンでは非常に評価は高かったようで彼も意気が上がった。
UMEA BIG BANDを聞けば納得できる、実に信じがたいアレンジと演奏の連続で、聴いていて血沸き肉躍る演奏である。
ニューヨークで培ったジャズ・スピリッツと欧州の音楽家達の卓越したテクニックが出会った時、彼には己の音楽の表現の枠が広がった事にさぞワクワクした事であろう。
彼の音楽アレンジ能力がここに開花した。

これらの一群の作品に共通しているのは、スイング感、サウンドの凝り方は当然として、なによりスピード感というか新しいノリの良さが、前衛的な音楽までも飲み込んで、グングンと進む様は聴けば聴くほど圧巻である。
その下を支えるフィリー・ジョーのアーシーなドラミングが又絶妙。

正に伝説=FABULOUSで、例えれば、王者の凱旋を見るが如き勢いは、揺るぎない芸術性を保ち続けている。
長い間ジャズを聴いた幸せ感を感じるところである。

この時期のフランスのPATHE(パテ)レーベルは不思議にソソられる作品ばかりである。


ネットで偶然に出てきた
2017/12/16

ネットで偶然に出てきた音楽関係者らしい方の書き込み。
安芸光男さんという方でその内容。

内容はこんな感じ。
私たちはまずなにより、「日本は──」とことばにして言うだけで、いくぶん心地の悪い、落ち着かない感覚におそわれる。これはきわめて不自然なことなのだが、しかし実際そうなのである。このことは先の戦争の忌まわしい記憶からばかりでなく、......。
という内容。


さて。
私たちはという所にひっかかる。
なぜかというと、「私たちは」この方が言うほど、日本に誇りが無い訳でもなく、反日でもないから。
この場合は「私は」という言い方に変えていただきたい。或いは「私とその周囲の人は」に。
この方はきっと反日の方なのだろうと思うのだが、しかし、私たちという言い方で、日本を愛する日本人が存在しないかのような表現を平気ですることに驚いた。

大変だね、反日の方は。
でもまあ、人それぞれだなあ。

当店のオーディオ
2017/12/14

時々、ご来店のお客様でオーディオマニアなのか店のオーディオに対し興味深くお話をされる方がいらっしゃる。

他店の事は知らないが、当店においてはオーディオというものは、その設置理由は便宜上の理由がすべてであり、音に関しては、それほどの物ではない。

と言う事は参考にもならず、どうのこうの言う事でもない。
ご自宅の装置と比較されても、いかがかと思う所である。

どうか参考になさらないようにお願いしたい。

BENGT HALLBERG “BENGT HALLBERG”
2017/12/13

BENGT HALLBERG “BENGT HALLBERG” PHILIPS P08201L (HOLLAND)

先日、管球王国の取材でレコードを持参し、スタンゲッツのメトロノームのあの名曲。
「Dear old Stockholm」を聴いた。
51年の演奏に感激した。
それで、その時ピアノで参加したのが、ベングト・ハルベルク(Bengt Hallberg)である。まだ10代ながら見事に弾き切った演奏であった。

さて話は変わり、
本日、入荷したこちらのアルバムを聴きながら、またジャケットを眺めながら、こんな良いアルバムもあるものだとしみじみと思うのであった。

人柄が伝わるような、優しい音の風が降ってくるような演奏。
コロコロと緩やかな斜面をこちらに向かって転がってくるような、受け止める側も笑顔になってしまうような演奏。
こういう演奏はなかなかあるものではない。

それで、以前にも書いたかもしれないが、いつの事か忘れてしまったので、繰り返しかもしれないがちょっとだけ書きたい気分になった。
ジャケット写真の事である。
クラブなのであろうか、演奏会のある昼間に彼が早く来て練習をしていると、その時ホールを掃除していたオバサンが思わず手を止めて、モップに顎を載せて聴き入ってしまうという風景。
おばさんの顔はボカシて写っていない、しかしなぜか、おばさんにスポットが当たっている。

いつもホールを掃除しているおばさんだからこそ腕前がわかると言いたいのだ。
しかも、遠くから見るとおばさんは微笑んでこちらを向いている、しかし、近づくと全く顔は見えない、見事な描き方で、まるで印象派の絵画作品のような、そう、あくまで主役はハルベルグだと強調している。
これぞ見事な欧州芸術の神髄と言いたいジャケ写である。

こんな作品を聴いていると、人生の素晴らしさに出会った嬉しさが沸々と湧いて来て、私の人生これで十分ですと言いたい気持ちなのである。

病院へ
2017/12/12

私の持病のひとつに副鼻腔炎がある。
改善がないからと近所の耳鼻科から「昭和医大藤が丘病院」を紹介された。
CT撮ったりMR撮ったりした結果、どうも腫瘍の可能性が否定できず、近々に検査入院となった。

ところが気が進まずそれは理由があり、私ではなく義父の話。
義父は昭和30年代東急電鉄の専務の頃、田園都市線と沿線における田園都市開発本部長をしていた。
周辺の地主に折衝を重ね、土地の買収、道路、町つくり計画などしていた。
その際、規模に応じた中枢となる病院の必要性も考慮し招致をする事になった。
東急には大岡山に東急病院があるが、別院でも最早賄い切れないと、その系列の病院など当たったが、杏林、順天堂等どこも「うん」と言わない。田舎だと馬鹿にしていた。
それで同じ沿線の「旗の台」にある昭和医大にお願いに行くと、はっきりしない。
ぐずぐずするばかりで用を得ない、かと言っていつまでも待てない。
仕方がないので、かくなる上はと土地の無償提供を持ち掛けたが、まだぐずぐずしている。
では整地もして差し上げましょうと最終案を出し、ようやく話はまとまった。
その後もあれやこれや大変だったと。
しかし折衝そのものが高圧的であり交渉に慣れた義父でさえそれは屈辱的な仕打ちであった。
義父にとってタフな地主などよりも、この仕事において教育者・医者が最も嫌な思い出になった。
当時の東急の担当者の間では「人生に何があっても昭和医大だけには世話になるまい」というのが合言葉になった。
家でも何かの時にその話がでた。
それで、私などもここに行ったことは一度もない。

なぜか急にその時の話がちらつき始めた。
でもなあ、それは私の事ではないからなあ。

アンディー・ウォーホールの本で
2017/12/11

家の本の整理などは依然整理中ながら遅々として進まず、家族に申し訳ないのであるが、今朝も捨てようかなと、ふと手に取ったアンディー・ウォーホールの本を見ていたら、こんな事が書かれていた。


靴を描けと言われたらそうするし、それを書き直せと言われたら書き直す。
書き直したり、もっと上手にやれと言われたり、言われた事は何でもやる。
そんなあらゆる「修正」の末に、商業ドローイングは感情をもつようになる・・・・・・。
商業アートの制作プロセスは機械的だが、その制作態度には、それに対する感情が備わっていたんだ。と。


さすがである。


              (本、1956−86 時代の鏡)

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