HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| 7月は | - 2018/07/08
- 暑くなってきた。
少し休みましょう。
7月は 脳を休めて 水のんで
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| 久しぶりに歌舞伎町猫に会えた | - 2018/07/07
- 家内が、あなたの日記によく出てきた歌舞伎町の裏の遊歩道に住んでいるという野良猫の「サキちゃん」に会ってみたいというので、案内して店からとぼとぼ歩いて行った。
夕方だったが、なんと以前の姿勢のまま、ちゃんと座っていた。 一年ぶりだったのに。 キリッとした姿勢もそのままで可愛いものである。
サキちゃんの、一年経っても元気な姿を見られて、いいもんだね。
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| Billie Holiday - At JATP | - 2018/07/06
- BILLIE HOLIDAY “ AT JAZZ AT THE PHILHARMONIC” CLEF MG C-169 (USA)
10inch
さても名盤の登場である。 こんな名盤かつ珍盤で綺麗なモノはそうそう出てくるものではなく、かつて我が国のレコクターにおいては、その頃の日本で編集された盤を入手する以外には無かったのである。 それがこんな10インチ盤の綺麗な物など望むべくもなく、傷だらけの盤でも大喜びであったのだ。 まあ、あまり昔の話をしても意味はない。
ここに収録された曲は8曲。 A面の最初の2曲、Body and Soul, Strange Fruits 近年は1945年2月11日となっており、Howard McGhee, Willie Smith, Illinois Jacquetなどメンバーも良く、音質も大変良好である。 Body and Soulは彼女のいつもの得意曲であり、Strange Fruitsにいたっては彼女の代表曲であり、ライブ演奏で歌に入る前に咳払いまでも録音されているのは、マニアにとってはたまらない魅力である。 観衆の拍手やノリも素晴らしい。 同様のメンツで3・4曲目のTravelin Light, He’s Funny that way,もありがたい。1946年10月7日の録音。 B面の4曲は1946年6月3日録音カーネギーホールの録音である。当初はこれらの録音はすべて1946年4月22日のカーネギーホールかと言われていたが、意外にもそうでも無かった。しかし、B面にはレスターヤングの参加もあり興味がそそられる。ただし。テナーサックスがイリノイとレスターの2人がいるので、どっちがどっちかちょっと判断付かぬところがあるので、そのあたりはリスナーの耳のお任せする。
とにかく、これは彼女の作品中、白眉であると断言する。 バックのメンバーのサウンドも申し分ない。 10インチ盤のイコライジングを合わせて聴いた時の音は鳥肌が立つ。 彼女は堂々としており、それが伝わってくる。彼女は歌っている時の感情というか、レコードを通しても、様々な感情がもろに伝わってくる珍しい人だと思う。 それらの中で、この作品ほど堂々たる印象を与える作品も珍しい。
更に言えば、このカヴァーの絵を見られたい。 ベッドに投げ出された電話の受話器、脱ぎ捨てられたジャケット、うつ伏した女性の裸身が、悲しみに打ちひしがれた様子がこれでもかと表現された、ストンマーチンの力作でもある。 彼女は若いころ、白い電話が憧れだったという、長いコードを付けてベットの中でも話ができるように。まさに彼女の憧れの生活がそのままである。 しかし、本人はベッドで楽しそうに話をしているわけではなく、悲しみに暮れている....。
このジャケットにしてこの歌あり。 悲しみや憎しみの感情の波の中で漂っていたのであろう彼女の歌は、私たちに希望さえ想起させる、この宗教的でさえある見事な歌なのである。
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| 大騒ぎのマスコミ | - 2018/07/05
- テレビで、2・3日前、サッカー日本代表が決勝トーナメントに出場だと、大騒ぎ。
どこのチャンネルも大騒ぎ。テレビも見たくないほどどこも同じニュースの繰り返しで一日中。
これは、まるで大東亜戦争の頃の、「大本営発表」と何も変わらない。 つくづく思うに、日本はすべて「フィーバー」である。 報道もフィーバーさせることが目的であるし、芸能でも、ファッションでも、商品販売でも、その手法はすべてフィーバーである。
そこを脱却しないと日本に民主主義はないぞ。 冷静さを保つことが民主主義の根本なのだ。
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| 家族 | - 2018/07/04
- 自宅周辺の商店街を歩いていると、オレオレ詐欺に騙されないように!というチラシが至る所に貼られている。
テレビでもくどいようにキャンペーンが張られている。 だが依然、金をかすめ盗られる事件は無くならないようである。
先日、家内が録画してあった映画を見ていたら、面白い場面があった、 残念ながらHDの容量が少なくなったので、録画を消してしまってタイトルを思い出さないので勘弁してもらう。
映画の話というのは。 身内のだれかが警察に捕まり、保釈金が2,500ドル必要になった。 そのことを母親に電話し、金が必要だから今すぐ払ってくれと懇願する場面である。 その時の母親の態度、「そのような重要な話を電話でするものではない。とにかく家に帰ってきて話し会うものだ」というような場面であった。
そこに大変な事が含まれているのではないかと考えさせられたのだ。
日本のジジ・ババが簡単にオレオレ詐欺に引っかかるのはそこが問題なのである。 家庭とは何か?
重要な話ならばこそ、電話で済ます話ではない!と一喝するところが、実は、 ジジババに課せられた重要な仕事ではなかろうか。
日本のオレオレオなどの詐欺が収まらない理由を思うと、お金の事を簡単に考えている昭和に生きた人々の間抜けな金銭感覚が透けて見える。 更に、家族とはいったい何んだったのかと、考えさせられる。 日本の親は金を払うのが親の仕事だと思っている所があり、愚かな事だと知っていながら、それに甘んじている。 まあ、ジジ・ババなど、若い衆にとって単なる金蔓であるのだから、まあそんなところか。
払いたものは、払えばよいのさ。 あの世には持って行けないんだから、せめて社会の中で金回ればが良いさ。
そこで川柳
「腰据わらぬ ジジババありて オレオレあり」
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| 味覚が..... | - 2018/07/02
- 今日、掛りつけの胃腸科の先生の所に行った。
それで、味覚障害で困っていると訴えた。
先生の答えは、「味覚障害に効く薬は無いんです。それはね、池田さんが今までの食べ物の味の記憶をたどり、記憶と口にしたものの味を結び付けてゆく作業なんですよ。それが回復なんです。だからクスリはないんです」。 「じゃ、今までの私の人生の味覚の歴史を辿るということですか?」。
と、なんと遠大な計画なのであろうかと考えてしまった。 しかし、気が遠くなるような話ではあるが、ある意味何やら楽しい行為でもある。 私の人生は私の味覚。 しかも、ここまで来て尚面倒というか、まあ今更ではあるが、己の味の歴史を辿るという事は、人生のものを辿ることに他ならない。
やる気になるなあ。
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| アイス・コーヒー | - 2018/07/01
- ここの所、病気の治療も終わり禁止されていたコーヒーも飲めるようになった。
だが、熱い飲み物が苦手なので、通常のコーヒーは飲むことが出来ない。 それで氷を入れてぬるくしていたのだが、徐々に氷を増やしていったら、結局アイスコーヒーが最も好ましいものになった。
コーヒーは実に美味しい。 今のところ、お茶や紅茶よりずっと気に入っている。
待ち伏せは コーヒーのアイス 融けるまで
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| 梅雨のあいだに... | - 2018/06/30
- 梅雨の間に、読み始めた池波正太郎「剣客商売」の文庫本全集も読み終わった。
梅雨と言いながら、なんだか今年は短かったような気がする。 ただ、しとしと小雨が降っている中を散歩する事ほど、誠に心にしっくりくるものはない。 ちょっと秋山小兵衛になった気分で、歩きながら小雨が気持ちよいなどと感じるのは、私が日本人だからであろうか。 日ごとに家々の庭も若草色を塗り込めたように盛り上がって来るのはたのしい。
行く梅雨や 平静は持つもの 耐えるもの いつまでも 燕通い来る 家はなし
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| 紫陽花咲く | - 2018/06/29
- 季節も夏に向かって動くと、庭の花もあっというまに変わって行く。
毎日ボーッとして生きる者にとって、そのスピードは非常に速い。 梅雨に入ったとニュースで聞いたばかりに、もう梅雨明けだと。
山桃の実が生ったかなと思ったとたん、カケスなどが来て、あっというまに食い散らかして、地面にたくさんの実も落として行く、可愛さも感じ感じながら掃除するのもバカらしい。 いままで あちこちの家の庭に見かけたアジサイも もう終わりに近づいた。
空を見れば燕が飛んできている。
花の咲くのを見ていると、もののあわれさが身に染みる。
紫陽花を 君がコップに 挿したのに 老猫と 我はじっとして 紫陽花さく
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| レコードを聴いて.... | - 2018/06/28
- 暇に任せて、家ではレコードばかり聴いている。
それで、よくよくじっくり聴いて歌詞を見ていて、アメリカのスタンダード曲の歌詞のロマンチックさに驚いている。 日本人のただ愛してるだの好きだのと連呼するばかりの歌とは、大いに異なる。 我々のロマンティックは、その時、一時(いっとき)だけの努力であるが、アメリカ人のロマンティックさは、男女二人がカップルでいる限り永遠に続くものらしい。
そういえば思い出した話があって、私の米国在住の友人の御嬢さんが、学校の先生をやっている。 その働きぶり、生徒への愛情に、独身の校長先生が甚く心を動かされ、結婚をすることになった。 さて、結婚したものの数年経ったある日の事、旦那さんから離婚してくれと言われた。 理由は、奥さんが仕事中心の生活で、「ロマンティックな事がひとつもなかった」という事だったそうだ。 この辺りの離婚理由は日本人には見当もつかない。 だってこんな事なら、日本では半数以上の夫婦が離婚になるに事は間違いない。 俺は一生懸命働いて家族を養っている等と自負していても、なんの意味もない事になってしまうのだから。
夫婦とは、アメリカ人にとって二人でいるという事はロマティックな時を共有すること「愛を育む時間」という他言いようがない。
奴隷経済社会の頂点に立っていた白人たちは、生活において相当楽をしたと思うが、その結果遊びにおいても非常に洗練されたものを手に入れたものと思われる。文化の著しい進歩であった。 そういう人たちの伝統の理解は、われわれには大変に困難である、としか言いようがない。
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