HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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続で、McIntoshの会社の事
2019/06/30

昨日の続き。
ところでMcIntosh社は社長がマッキントシュさんなのだが、実際の開発・運営はゴードン・ガウ氏がやっていた。あのガラスパネルの緑に青と赤の点灯した「空港」をイメージしたデザインを考えた人である。
ある夜、飛行機が着陸した時、その光に感激し、空港においてなぜ青の色が良いのか、赤い点灯はどういう意味があるかとか等と大学の研究室に頼んで調査もしたということである。
流石アメリカ、国中に膨大な数の空港があって、その空港が身近だからこその発想であったのだ。
人によってはニューヨークの夜のイメージだという話もあるが、正にその通りで、孤独なニューヨークの夜にふさわしい。
さて1947年に事業が10人で始まったのだが、30年後600人になった時も、ほとんどの社員がそのまま残っていたという、アメリカには珍しい企業でもあった。
また製造に関して下請けなど使わず全てのパーツも自社製造であり、組立てもほぼ一人で作られたらしい。
工業デザイナーという人たちは沢山いるが、アンプの設計、製造、音決め、デザインと一人でこなし、しかも世界をリードしたアンプを作った人は珍しい。
もう一つ、ガラスに塗装すると言う事の精密さは大変困難な仕事であることを
付け加えたい、なぜなら、光が裏から当たると、極小さな穴から光が漏れるから。

もう一つ、ガウ氏は、波形の良くないアンプでも良い音のアンプがある事を確信していて、音楽を聴くという行為で製品化することを重要視していたという。

その後の日本のアンプいやオーディオ界が数字ありき、波形ありきのデーター重視のオーディオ製品を有難がっていたのとは違うのである。
オーディオ初期において、海外の耳で作られたアンプが、数字だけで作られた日本のアンプの何倍も音が良いのは何故かと、私も思っていたのだが、極論ではあるが、あながち間違いでもない。
私は日本人が、神経質な音がそんなに好きなのかと今でも信じられないのである。
モトエ。

さて、そんな決定的ないかにもマッキントシュらしいアンプ、C-22というのだが1963年に生まれ、その後の同社のイメージの元になっているのである。

そのC−22が我が家に来た時、リビング・ルームに置いた時、家内が「素敵ね」と言ってくれた時、オーディオの買い物はこんなに楽しいものかと思ったものだ。
275なども「素敵ね」と言う言葉はあったが、それ以外のオーディオ機器には「大きいね」としか言わない。

ところで昔、菅野さんの記事でマッキントシュの会社を訪れた時、車の中からガウ氏がある木を指さして「マッキントシュアップル」と教えてくれた。
別に関係は無いらしい。
しかし、その後のパソコンのアップルの繁栄を見ると、不思議な気持ちになる



そんな会社も会社売買を重ね、今は人も変わった。
栄枯盛衰は人の世のならい。

McIntosh プリアンプ C-8
2019/06/29

私の愛用のプリアンプの一つに McIntosh のC-8がある。
1955年発売で当然モノラル・アンプである。現代、使用する為には左右2台が必要で、しかも古いアンプの左右の特性を揃えねばならず、使いものになる物は入手困難である。
しかし、そこはそれ蛇の道は蛇という通り、探し出してもらって、それをあたかも最初から一つであったかのような顔つきの一つの箱に収めてある。

C−8は当時のオーディオマニア用のオーディオ・コンペンセーターと呼ばれるプリアンプで、RIAAカーブに統一される以前の各社バラバラのカーブが再現可能なアンプである。パネルに取り付けられたスイッチをいじれば、何しろ1000通りの組合せでカーブが作れる。
入手の事だが今となっては人気もなく価格も意外に安い、まあ買いたい人も少ないのだろう。だが先に申した通り2台揃える事は難しいがモノで使うなら良いかもしれない。

その前の1954年に発売されたC-4はNAB、AES、COLUMBIA等、主だったカーブを持っていて、使いやすいのが特徴であるが、たった1年後に発売されたC-8ときたら、印刷された表を見ないと、スイッチの位置が解らないという、超マニアックなアンプなのである。
しかも自分で電源を持っていないという厄介な構造で、当時の相方のパワーアンプMC−30などから専用ケーブルで引張って来るというものであった。

ところで、C-8はまだパネルは手作り感があって(写真参照)、例の同社のアンプの夜のイメージはない。
残念ながらそうなるには、まだ8年の歳月を待たねばならない。
しかし、パネルの筆記体、例えばConpensatorなどと書かれているのは、同社の創立から開発・製造・デザインなど中心になってまとめてきたゴードン・ガウ氏の手書きによるもだそうだ。

それだけでも嬉しいのよ、マニアとしてはね

松田聖子
2019/06/27

風邪なので外出もできず、家で何となく歌謡曲のEPを聴いていた。
天地真理の「恋する夏の日」とか、岩崎宏美の「ロマンス」とか、荒井由美のEPとか。石田あゆみの「あなたならどうする」は時々聴いているのよ、だって昔、渋谷の喫茶店の入り口で石田あゆみさんに出くわして、「おはよう」って挨拶したらにっこり笑って「おはよう」って言ってくれたから、それ以来ファンなのよ。
でも最近ちょっと痩せすぎで心配していたんだけど、どうなったのかしら。と、それはオイトイテ。

それで、松田聖子のEPが結構あるものだと数えてみたら5枚あったので、端から聴いた。
いやあ、良かった。松田聖子ってこんなに良かったのかと驚いたのよ。
感心しちゃった。
彼女は凄い、だって、彼女の声は高いし、透き通っているし、バカっぽくない、確かに当時の「ぶりっ子」風ではあるが、元々アメリカの60年代POPSだって相当なぶりっこなんだから、むしろ褒められたものだ。
声が明るいのにちょっと寂しそうな、微妙な表現がすごくうまいし、不思議な才能の声で「白いパラソル」「風は秋色」と来て「青い珊瑚礁」を聴いて嬉しくなってしまった。
何より声が強い。
それで、次に「風立ちぬ」を聴いて「今日から私は心の旅人....」となると歌詩も曲も良いのだけれど、それより、歌手としての彼女の才能があって初めてこの歌は生命力を得たんだなあ、としみじみ感心した。

以前、去年の紅白歌合戦で高い声が出てなかったので、驚いたと書いてしまったので、悪いなあと思っていた。
いや良いんだよ、いくつになっても自分の歌える範囲内で頑張っていて欲しいものだ。
歌手は年齢を重ねてこその味わいが良いものだから。
彼女が70才になったら余計元祖ぶりっ子になってやって欲しいものだ。
見てみたいなあ、彼女の七十のぶりっ子。

いや、風邪を引いて家にいるのも悪くないなあ。

頭がボケた
2019/06/22

修理から帰って来たカートリッジのバリレラをセットして、音が出ない。

知り合いに「音が出ないんだけど」。
そうしたら、「バリレラにトランス通したでしょ」
「ありゃ、本当だ、私とした事が恥ずかしい」
「何を、してるの」
「トホホ」
という事であった。
2か月前まで、やや不調ながら普通に使用していた物なのに。
去年、病気してから、頭の中の細胞が半分くらい死んでしまったようだ。

そういえば、ちょっと前も、ここのビルの夜間用の4桁の数字を忘れてしまって入れなくなったのよ。
これはもうだめだな。
ジイジは猫を相手に遊んでいるくらいが丁度良いのかね。




WYNTON KELLY “WYNTON KELLY”
2019/06/21

WYNTON KELLY “WYNTON KELLY” VEE JAY LP3022 (USA)
Mono

入荷したこのアルバムを聴いていて、「枯葉」を聴き終わったあと、妙に感心してしまった。
彼は凄いジャズ・ピアニストであったと。
この「枯葉」はしっかりとしており結構テンポも良い、スイング感も良し、ジャズらしさがグッと出てくる。
しかも「枯葉」の哀愁も失われていない。
しっかりとジャズであるところが素晴らしい。
Milestoneレーベルの枯葉と比べたくなってしまうが、今日のところは無いので、次回という事にする。
この時の録音は61年7月20日、ベースがPAUL CHAMBERSである。
なぜかテイクが4つもあって、このアルバムに入れられなかったものが、その後日本のレコード会社から枯葉としてであったり、EPとして発売されていた。
それは、まあ死蔵するには余程勿体ないものであったのであろう。

さて、この頃、彼はVEEJAYレーベルに3枚残している。
1959年8月のKELLY GREAT
1960年4月のAT MIDNITE
そして当作品で、これら3枚はどれも、いかにも立派なジャズのジャズたる作品である。
なによりも気持ちの良い、ノリの良い作品なのである。
当時のどちらかと言えば、暗くて元気のあるジャズの演奏の中にあって、明るさがある。
活気に満ちていて輝きのあるピアノである。
それでいて、ちゃんと哀愁も感じさせる、こういう味は、これはもう才能であって、やろうとしても出来ない物なのである。

ここ最近のピアニスト達の、ジャズとも言えない、いやジャズ風というか、あたかもヤマハのコンクールで優勝しました、かのようなピアノに比べると、ジャズとしての最も重要な点「味わい」に雲泥の差があるのである。
それはオイトイテ。
この録音の少し前、1959年3月、マイルスのKind of blueの録音でわずか1曲のみFreddie Freeloaderの参加に留まる悲しさであるが、それでも悔しさにぐっと堪え、VEEJAYでの録音で己の味わいを十分に尽くしたところは立派である。
ウィントン・ケリーの作品はジャズファンならぜひ聴いておいて頂きたい。

休日
2019/06/20

久しぶりに休んだ、今月初めての休みの日だった。
なんだか、疲れてしまったなあ。
でも、休みだと思うと嬉しいものだ。
朝も猫にひもを付けて、近所を散歩した。

ちゃんと一生懸命に歩いて家に帰るところなど、可愛いものである。

JOE PASS “VIRTUOSO”
2019/06/16

JOE PASS “VIRTUOSO” PABLO 2310 708 (GERMANY)

パブロ・レーベルに大した作品は無いというのは周知の通りである。
その中にあって、このヴァーチュオーゾは尊敬の念に値する作品である。
音楽界の名人・達人という最高の褒め言葉「ヴァーチュオーゾ」と付けられたのであるから、まあ自信はあったのであろうが、間違いなく名人芸としての彼の自覚も伝わってくるものがある。
確かに見事なソロ演奏である。

冒頭のNIGHT AND DAYを聴くと、ギターの爽やかな音色がサラサラと肩に流れ掛かるように聞こえてくる。
冴えの見事さに、すっーと心が落ち着くのが自分でわかる。
それはもう、一曲聴けば十分すぎる程素晴らしい作品である。

たった一曲で決めてしまうのは、どう考えても名人芸である。
いや、一曲でもう腹いっぱい。
凄い芸術である。

今回入荷のアルバムはドイツ盤。
ドイツ盤はジャケットの周囲と名前の部分に彩りがあって、アメリカ盤の地味な作りと比較すると、ちょっとだけ華やかな作りになっている。
聴きながら写真を眺めていると音にも彩りが付けられたようで嬉しい。

オーディオ的にももちろん音質も良好である。
まあ、これはアメリカ盤でも悪くは無い、という事を付け加えておかないと。

Thelonious Monk
2019/06/12

Thelonious Monk
レコード屋になったおかげで、こんな面倒な英語の名前ですらすらすらと書くことが出来る。
有難い事である、って何がだ。

さて、モンクのIn Europeの3枚に甚く感動したので、本日もモンクの音楽の事。
最近モンクは人気が無い。
いや、昔から人気は無い。
まあ、好きになれと言ってもジャズ入門者には無理と言うものである。
特に最近はモンクが嫌いだの、下手なの、なんだのと音楽性すら認めていない人も多い。
だが、私からするとそれこそ有難い。モンクが嫌われるほどに私などのマニアが支えているかと思うと、アイドルのファンの気持ちも分からぬでもない。
私などのファンは昔から「モンクを嫌いな奴は信用できん」と、豪語していたんだから。
それはオイトイテ。


今日、言いたい事はモンクの音数(オトカズ)の少なさ。

外国のテレビを見ていると、ボードビリアンと言うのか日本ではお笑い芸人というのか、日本人の物真似がある。
まあ、言って見ればタモリが真似する中国人と韓国人のマージャンのような感じか?
日本語のしゃべり方で、一音づつが切れるしゃべり方をカツラを付けてやるのである。観客には大いに受ける。
確かに日本語は一音づつ切れているのだ、流暢に話したとてとても流れるように、例えばフランス語のような繋がった音になって流れるようには行かない。

そのテレビを見ていて、私は思った。 
モンクの音の運びが、まるでそういう日本語のような一音づつ千切れたような、角張ったというのか、キチキチ、キチキチとした、そんな音によって成り立っているのだ。
それで、それならば、きっと、きっと日本人ならモンクのジャズを理解できるはずだと思ったのだ。

だがしかし、最近は日本人も子供が小さい内から英語の方に目が行っているから、もう無理な話だな。
なにしろ、ビル・エバンスが一番だというベテランが増えているんだもの。
2020年、ここまで来て、結局はジャズがクラシックに取り込まれてしまったのかね?
うん。

THELONIOUS MONK “IN EUROPE
2019/06/11

THELONIOUS MONK “IN EUROPE vol. 1 〜 vol.3” RIVERSIDE RM002/003/004(UK)

3枚セットである、モンクが1961年にヨーロッパ・ツアーを敢行した際のライブ録音。
番号RM002 Teatro Lirico, Milan, April 21. 
番号RM003 Olympia in Paris on April 18th.
番号RM004 Olympia in Paris on April 18th.
日程は、まず4月15日にアムステルダム、18日にパリのオランピア、21日にミラノのリリコ劇場、5月10日にスイスのベルン、5月16日にストックホルムのコンツェルト・ハウス、5月20日にアムステルダムに戻りコンセルトヘボウと仕事を精力的にこなした。始めと終わりがアムステルダムという所が、フィリップスがイニシャチブを取ったという事であろうか?
その中で18日のパリと21日のミラノでの演奏をレコード化したものである。
ヨーロッパにおいてRIVERSIDEレーベルはオランダのフィリップスが契約していたので、言って見ればオランダ・オリジナルもしくは当時の流れから英国という事になる。
また、1~3集のライナーノーツをAlan Batesが書いており、それを各国共使用しているのも企画がオランダであるとの一つの理由とする。彼はオランダのFONTANAレーベルのプロデュースも手掛けていた事でもある。
レコードはオランダはじめ英国、フランス、イタリアとそれぞれプレスをしていて、どれがオリジナル云々は証拠がないため断言はできない。個人の趣味で、好き不好きの範疇とする。
しかし、面白い事にジャケットの裏の造りが結構異なっていて、写真の裏焼き、大きさ、位置と何故だか分からないが個性を出して、最後は各国に任されていたのであろうが、それは欧州版における常套である。
そういえば、1枚目の冒頭の紹介がフランスでの部分を使っているので、フランス盤がオリジナルとしたい気持ちも分からぬでもない。まして3枚のうち2枚がフランスでの演奏で有れば尚更であろう。

さて当3枚は結局米国にて発売されており、21日のは443番IN ITALY, 18日のは460/461番TWO HOURS WITH THELONIOUSとして発売された。これもどちらを原盤とするかは欧米のコレクターも我田引水で不明である。
もし、米国をオリジナルとするならば、このオランピア劇場とリリコ劇場での演奏はビル・グラウアーの努力により、録音の権利を保有する事に成功したとなっている。したがって3枚が発売されたので、その点に尽きる。
しかし、ジャケットの写真の良さ、1集から3集までの統一感など、どうしたってヨーロッパ盤に軍配が上がるのは致し方のない事である。
メンバーはCharlie Rouse(ts)John Ore(b)Frankie Dunlop(d)とのカルテットであるが、これらの後もしばらく継続し、63年の再渡欧の時にも一緒にやっている。
気難しいモンクと言えども、気心のしれたメンバーで、演奏もモンクだけに文句のない所である。

1961年のこの頃を以って、モンクはコロンビアに移籍することになっており、これらが最後のリバーサイドでのリリースという、環境としてはちょっと寂しいレコーディングでもある。
なにしろ、リバーサイドの時が最も充実したジャズらしい気概の籠った演奏が聴けるからでもある。

しかし我々もかつては、こんなヨーロッパ盤が出ていることも知らず、昔、某大久保の廃盤店に3枚飾られた時には、見学に行き3枚で10万という値段を見て驚いたものである。
値段は違えど、こうして並べで揃ったジャケットを眺めると、私は今でも心が躍る。
そうそう、演奏に触れておかなければ。
この3枚はモンクが最も気持ち良く演奏した作品である、何故なら彼が良く共演者に注意していたという「スイングするんだ!」「リズムも忘れるな!」と言ったようだが、そんな感じにおいても最もよく表れている。
スイング感も彼の作品の中でもトップクラスに良い気がする。
多くのリスナーはモンクにスインッグ感など縁遠い話だと思っているに違いない、しかし、この3枚からは見事なスイング感と溌溂とした演奏が聴こえてくる。
ヨーロッパにおいてモンクは絶大な人気を誇っていたのであるから、演奏が良くなるのも当然の事かもしれない、客が演者を作り、演者が客を作る!
これぞ、もう二度と聴くことが出来ない、凄いジャズなのである。
今日はこれら3枚、通しで聴いたけど、久しぶりに感動した。

老後は2000万円用意しろ
2019/06/09

金融庁の発表。「老後は2000万円用意しろ」というテレビのニュース。
何!と怒ってちょっと「興奮シマクラチヨコ」。
まあまあ落ち着いて、テレビのワイドショーの大げさに言うから元ネタを探さないと。

発表されたものは「金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書・高齢社会における資産形成・管理」というもので、有識者と言われる人達の研究報告である。
ちょっと引っかかるのは金融関係すなわち投資関係者が目立つ。
これはいかがわしい金融詐欺のような感じじゃないの?

まず冷静に。2000万の話の出所はというと、「収入と支出の差である不足額約5万円が毎月発生する場合、20 年で約 1,300 万円、30 年で約 2,000 万円の取崩しが必要になる」という事にある。
以前から、老後は3000万とか、5000万などと言われているので、別に驚くこともない。

面白い事に。 で、こうしろと親切なアドバイスがあって「長期・積立・分散投資がリスクをコントロールし、一定のリターンをもたらしやすいので、多くの人にとって好ましい資産形成のやり方である」と指摘している。
投資は老人に危険極まりない運用であるが、「想定外の損失が発生するリスクも存在することには留意が必要である」とこれまたいい加減な親切さ。
更に「米国NY ダウと組み合わせるとトータルリターンはさらに大きくなる」とまで米国への投資を薦めている。なんだかねぇ。

「人生 100 年時代において、早い時期から資産形成の有効性を認識する」としている。
若いうちからライフプラン・マネープランを検討しろと。
「退職金もライフプラン・マネープランを検討」しろと言ってくれている、こうして投資プランを薦める、薦める。

なるほど一方で消費をしろと政府が言いながら、こうした一方で溜めろと。
若い人もジジババも金を使わないはずだな。

「金融サービス提供者も顧客に対する資産形成・管理のサポートや顧客のライフプラン・マネー プランに関するコンサルティング機能を強化し、顧客の最善の利益を追求すること」と、投資信託銀行にもさりげなく釘を差し、ちゃんとバランスを取る事を忘れない。
結局は、「投資関係者」の集まりが金融庁の名を借りて投資の宣伝したんだな。
しかし、政府の名を借りて、投資関係の企業が脅し・宣伝に使うとは悪どい事をやるもんだよね。
相当悪質な役人と企業がつるんでいるとみて間違いない。
ちょっとむかつく話であった。

しかしね、日本はスエーデンのような社会保障を目指しているようなフリをしつつ、実は、もう無理ですよ!と言い始めたという事なのだ。
日本の政府は非道いよね。
政府という事は安倍さんばかりではないよ。
左翼の政治家も同じ穴のムジナだと思っていいし、官僚なども全くそうだと思って良い。

マスコミだって同じ穴のムジナ、踊らされる事なかれ。

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