HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。
  
| 耳年増 | - 2012/09/19
- 耳年増って、しょうもない子供の事なのだが、なんだか良い表現で好きだ。
大体、年増って言葉も使われなくなった。 落語で、子供が「年増泣かせちゃった」。 「違うでしょ、お母さんでしょ。やだねこの子は」。 なんて会話もあったが、子供が言うから可笑しい。
昔はよく母親たちの話の端々に年増という言葉が出てきた。どこそこの娘がいつまでも嫁に行かないので年増になってしまったとか。早くしないと、その内に大年増だ、などと心配していた。冷やかし半分で。 昔は二十歳ちょっと過ぎれば、年増になると評判が立つ。私が子供の頃を思い出しても、30歳くらいだと想像していたが、その昔は二十歳過ぎれば年増だったそうだ。 私も年増と聞くと、子供心になんだか浮き浮きした気分になったものだが、一体何でそんな気分になったのか、今でも自分で理解出来ないが、まあ子供であっても男だったという事で勘弁してもらう。
それで子の癖に、周囲の大人から下ネタを聞きかじっているうちに立派な知識が身に付いて、遂には大人に交じって大人顔負けの下ネタを披露するようになってしまったませた女の子の事をいう。 今の時代の子は耳が付くのかどうか知らない。
耳年増ね。 せめて、ブルーノートのレコードは耳付で聴けたら幸せだ。 ジャズのレコードだけは、耳の肥えた耳年増になりたいものである。
(耳付:ブルーノートの原盤のスタンパーに着けられた"P"の文字が、耳の形に見えるので日本人が"ear"マークと言っている内に本家米国にも広がったもの、日本人って凄い)
|
|
| ソーシャルネットワークサービス | - 2012/09/18
- どんなに忙しくても人間、ちょっとした暇はある。
それで、よくMIXIをチェックする。 ニュースに関する書込みを読んでいて、面白いなと思われるのがあると、そこに私も書き込もうかとも思い、まずはその人のプロフィールを見ると、立派な事を書いている割に、若いのに仕事してなさそうだったり、一日に何回も書込みしていたり、精神的に問題ありそうだったり、とても攻撃的だったりするのを読んでいると徐々にその気が失せて行く。 顔が見えないという事は怖い事だ。 知らない人にあまり絡むモノではない。 ある時、出世した知り合いから「お前な仕事に生きている人たちはMIXIなんかやってないぞ。あんなのは暇人のやる事だ」とお説教された。 ハイその通り。でも最初は20歳以上という年齢制限があって、悪くは無かった。
FACEBOOKに入ってみた。MIXIと違って顔も名前も「実」なので安心したが、こちらは学歴や会社名だの、必要かとも思われない項目について、書かせるようになっている。 好きな映画とあるから書き込んだが入らない。どうも写真などが登録されている映画だけが入れられるようになっているらしい。 結局は企業側に都合よく種分けするための道具や仕掛けが沢山あって、人間をうまく分類して営業にも活用するようだ。それがまた、上手い具合にちょい中流に受けた。高学歴な人ほど大喜び。 なんだか信用できない気がして、その道のマニアに聞いてみた。 これはハーバード出身者が始めたものだそうだ。それなら初めから階級社会の再構築だったのかと納得した。一体この本当の情報は何処に行って、どこでどう使われるのだろう。個人情報など実は筒抜けだ。 考えると欧米や近隣諸国には都合よさそう。 しかし、遊びにも高校・大学など学歴が重要なのだと。それが私にお説教した友人も喜んでやっている。
書き込んでいる事はMIXIと大差ない。「どこそこへ行きました」それに対して友人が「今度誘って下さい」。 MIXIではだめでも、FACEBOOKなら良いのか。 でも、その気になって本気で誘って、来た友人など無い。 早く学習しろ!
最終的には、客同士は階級社会の再構築、情報はアメリカ経由でどこへでも。 こちらも怖い。 いづれにせよネットの怖さは必ずある。
一言でいうと、ただで使える物に良い物などない。 昔の日本人は言った、「ただこそ高い物はない」。
|
|
| CONNIE STEVENS “CONCHETTA” | - 2012/09/17
- CONNIE STEVENS “CONCHETTA” WARNER BROS. 1208
ジャズボーカルと言えないが。
好きな歌手なので掲載しないわけには行かないのだが、実は歌手と言ってよいかも疑問が残る、まあいいか。 一応スタンダード曲が沢山あるし、「SLOW BOAT TO CHINA」「POLKA DOT AND MOONBEANS」「SPRING IS HERE」なども歌っているので。
彼女は清楚、と書いているブログを時々見かけるが、清楚ではない。必ずセクシーさが付いて回る。 それは昔のTVドラマ「ハワイアン・アイ」に出て来る彼女はクラブで唄っている役柄で、その姿は可愛い、ひたすら可愛い、それでいて色気があってちょっと大人の品があって、ブリッコでアメリカの白人の美人の良い所をすべて持っているかのようであった。ゴージャス感と清潔感を併せた美人というのか。 ドラマの中で、クラブで彼女が歌うと客の野郎どもが、オオっと言いながら身を乗り出すという設定。 日本で松田聖子が有名になり出した頃、「ぶりっ子」という単語が流行った事があるが、白人の可愛い子ちゃん達こそ元祖ブリッコというべきで、ブリッコは取って付けた感じが無く、正に当然でありとても相応しい、その典型がCONNIE STEVENSではないかと思うのである。 どうでもよいブリッコ論は置いといて。
このジャケットを見るとなるほど可愛い。 カールしたブロンドの髪の毛、茶色の眉毛、ブルーの瞳、口の端だけで笑った様子、占領下でアメリカの宣伝教育され続けた我々には、これぞ私たちが待ち望んでいたアイドルだった。赤く塗った口紅が眩しいというか、ひょっとして遊び人じゃないかと思えて、それも大人の色気にも感じてしまい、近寄りがたい。 TVのドラマを見ながら彼女が出て来るのを待ち望んでいた。出て来ると我が家の写りの悪い白黒テレビでも、眩しくて照れくさくなってしまった。 そんなうぶな少年だったのだが、あれから50年。とうとうこんなレコードも手に入れるようになり喜んでいる自分が可愛いというか、可哀想。 それも置いといて。
このレコードはジャケットも若々しくてよい。 唄の感じもまだ若い感じがする。でもこの時は結構な年齢だった。それにもメゲズ若々しい所がエライ。
このレコードを聴いていて、先日のLOLA ALBRIGHTを連想してしまう。 両方とも同じテレビスターとして出演していて、ブラウン管の中でも、ステレオの中でも、銀幕の中でも唄った歌手だ。 またその後もしたたかにハリウッドで一流として生きた女優でもある。 こういう歌手たちに魅力があるのは、とどのつまり、結局アメリカが一番良かった時代の良さを身に着けていて、それが時々チラッと見せて聴かせることが出来る歌手なのだろう、とつくづく思う。 聴いていても気持ちが良いから。
|
|
| 新宿は祭り | - 2012/09/16
- 日曜日、タクシーに乗ったら運転手が、「いや〜今日は、新宿だけでなく、池袋でも、この界隈でもどこに行ってもお祭りで、車が動かなくてまいりました」。
今頃は、東京の街では日曜日ごとにお祭りだらけ。 楽しくて良いものだと思いながらふと考えた、5月と9月は江戸の有名な祭りを初めとして、あちこちで祭りがあって、遊びたい人たちは、毎週のように、付き合いと称して祭りに参加しては飲んだり遊んだりしていたのだ。 実は、江戸は飲む口実の遊びに、事欠かない街だったに違いない。 付き合いで郊外まで足を延ばせば、働く暇が無い。 庶民は遊んだのだ。男はいつ働いたのだろう。そうなると働くのは女房かもしれない。
ま、人それぞれで。 私も遊んで暮らしたい。
|
|
| トヨタ ハチロク | - 2012/09/15
- 友人が最近発表された車86(ハチロク)を見たいと言うので付き合った。
トヨタの販売店に行くと、正面の良く見える場所に86が飾ってある。 2リッターで200馬力だが、近年の日本車には珍しくターボエンジンでない所がエライ、車重は1250kg、まあ優秀の部類。他車が頑張っていない分、元気が目立つ。 と言いつつ、あえて言えば86と言うからにはモータースポーツ特にドリフトに使われそうな気配が漂っている。それなら全車1200キロは切って欲しかったし、エンジンも280馬力位にはして欲しかった。 ノーマルエンジンを評価しつつも、日本車のターボは優秀なのでターボ付きだって問題はない。どうせすぐにターボキットも何処からか発売されるであろう。
試乗もどうぞと言われる親切さなので、乗せていただいた。初めての車ってクラッチの繋ぎが慣れてないからちょっと心配だがマニュアル車で試乗。でも最近の車にもれずマニュアルと言っても、クラッチのタッチが軽くて発進時にエンストしない。 走りはキビキビしていて、このクラスでは全く文句なかった。 価格も安く設定されていて文句はない。
と言いつつ、どうせなら、もうちょっとだけ頑張って欲しかったと思う所も無い訳ではない。 まずこのサイズなら5ナンバーにして欲しかった。大体トヨタは車体が大きすぎる、製造コストが3ナバーでも5ナンバーでもあまり変わらないので販売しやすい3ナンバーにした事は、重々承知してはいるが、日本の狭い道はやっぱり5ナンバーが良い。モータースポーツだって5ナンバーの車の方が良い。
かと言って、ごちゃごちゃと、私が言い張っても仕方ない。 一言でいうと、久しぶりに良く仕上げた車が出た。 本当は文句などない、性格がへそ曲がりなので、ただ一言言いたかっただけ。私も欲しいなあ。
|
|
| 五味康祐 | - 2012/09/14
- 最近、古いオーディオ雑誌など読んでいると、なぜか五味康祐の文に出会う。
私もちょうど、オーディオに関して彼が書き綴った言葉に対して、いちいち反応してしまうのかもしれない。 昨日も読んだが、あれらは昭和40年代に書かれているはずであって、日本でもっともオーディオ熱が盛んだった頃だ。
彼が、日本の代理店ができてタンノイのオートグラフの輸入が始まる以前に、友人と一緒に輸入したとう話を聞いた事はある、だが、それは日本に輸入されていたオートグラフと同じものではなく、もっと作りが丁寧で相当に凄い物だったようだ。そんな事が話の端々に出て来るのが興味深い。
彼の本の中身は、相当気合が入っていたマニアで、オーディオは音楽を聴くための道具としてのみ認めていて、単なるオーディオマニアで無いというところをむきになっていたり、レコードのラベルにスピンドルマークを付けるような人は信用できないとか、今に通じるレコードマニアっぷりに思わず笑ってしまうし、大いに頷ける。 こうなったら全部読んでやるぞ。
|
|
| センチメンタル・ジャーニー | - 2012/09/13
- 知合いに「」センチメンタルジャーニー」知ってるかいと言うと、知ってるよと言って歌い出すと。
「伊代はまだ16だから.....センチメンタルジャ〜ア〜〜ニー〜♪」 松本伊代じゃねーよ。
ドリス・デイが唄った哀愁いっぱいの歌は、戦後の日本でも大ヒットし、田舎にいた私の、従妹のお姉さんも歌っていたほどのヒットだから、時代背景を思うと相当な歌手だった。 進駐軍の影響で、江利チエミ、雪村いずみ、などジャズっぽい歌がヒットして江利チエミは「テネシーワルツ」、雪村いづみが「思い出のワルツ」とその他アメリカのヒット曲を日本語に直して歌って、戦中の暗い短調の日本の歌と打って変わって、あの哀愁があっても明るい歌が日本中で唄われた。 戦後初のアメリカン・ポップスが日本でヒットした最初の曲がこのセンチメンタルジャーニーだったと、昔聞いた事があるほどの、大衆に受け入れられた曲だった。 続いてテネシーワルツかもしれないが。 所が、この歌を日本人の誰が歌ったのか全く記憶がない。きっとドリス・デイが唄ったものが流行ったのだろうか。
そのセンチメンタルジャーニーがもう人々の間で忘れられていようとは。 トホホ。
|
|
| 化粧 | - 2012/09/12
- 夜地下鉄に乗った。
11時過ぎだった。私のはす向かいに乗った若い女性。いきなり道具を出して化粧を始めてしまった。 電車尚中の化粧も勝手だけど、夜の11時に化粧して何処に行って、何をするのだろう? 少なくともただ家に帰るなら化粧はいらない。 きっと客が居て、そこに行くのだろうが、仕事っていったい何だろう? オジサン興味津々。
|
|
| 過去は知らない | - 2012/09/11
- ちょっと前に知り合いに飲み会に誘われて出かけた。
そこに20代真ん中の青年がいて、話を聞いていたら漫画の話になって、アニメソングも自分が幼稚園時などに見たアニメより古い漫画の主題歌などは全く知らないと言っていた。 興味を持って、あなたのお母さんの好きな歌とか漫画等も知らないのかと尋ねたら、知らないと。 ちょっと考えてしまった。
私も気になっていた、最近の若者のモノを知らない不思議さが。 だが、自分の母親の好きな音楽も知らないとはどういう事か、自分にしか興味がないということなのか?
私は子供の頃、母親の好きな歌は皆知っていたし、歌う事が出来た。 たとえば3大芸者歌手「赤坂小梅」「小唄勝太郎」「市丸」やら、戦前のヒット曲「湯島の白梅」「勘太郎月夜」「支那の夜」「異国の丘」「喜びも悲しみも幾年月」と何でも知っていた。古い映画も何でも知っていた。 なぜかというと私は、映画は親の見たい映画に付いていった。歌は親が聴きたい歌を聴き一緒に歌った。もちろん子供専門のアニメもないし子供が喜ぶ歌も無い時代ではあった。 それが今、子供がビジネスの対象として子供用の映画や歌が作られるようになった。子供が欲しがれば親は買わざるを得ない事に目を付けた商法である。いや、違う今は巷に子供映画や幼児ソングしかない時代なのである。 そこまで子供ためにマーケットが熟成してしまったら大人の事に興味など無いわな。 子供たちが過去や両親や周囲に興味を持たせないように、子供達だけで社会的な興味が完結するように、社会が教育をしていた事に気が付いた。
戦争に行ってもいないのに、近所のオジサン達から聞き過ぎて耳年増のようになり、さも行ったかのように知っている私の事を思うと、その「学校で習った歴史以外、過去の事は知りません」と言い切った若者が眩しい。
|
|
| 自由 | - 2012/09/10
- 思えば、私には子供が二人いたが、その二人とも結婚したわけで、それは彼らが私から卒業して、私はやっと解放されたわけだ。
これでももう自由だと思ってほっとしていたが、別に何も変わっていない事に気が付いた。 自由になるぞ。
|
|
  
|