HAL'S DIARY
オーナーのひとりごと。買付けの裏日記など。
きまぐれに更新しています。

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寿司屋
2014/06/10

親戚のおばさんが、たまには青葉台の寿司屋でご馳走してくれというので、行ってきた。
そこは、田園都市線、青葉台駅近くの「福助」という寿司屋。
ウチの先代からの行きつけの店である。
どこが良いかと言うと、ご主人が水商売っぽくなく、ぺらぺら話しかけて来ない事。
(実は、こういう店は大変少ない)
味は銀座のそこそこの店に引けを取らないのに、そこそこな値段なこと。
値段に味が勝っているという事。

寿司屋と言うのは、そこの味と香り、主人と固定客がいて、その環境で出来上がった店の独特の雰囲気がある。
場所と人気(ヒトケ)、そこに味と両者の雰囲気と価格の接点があってこそ、常連客がいるのである。
一見さんが、どうのこうのと言っても、どうしようもない雰囲気がある。

新宿でも、時々行く寿司屋があるのだが、そこの主人が怪我をして2か月ほど休んだ。
すると他にもあるからと思っていた寿司屋が、味と価格と雰囲気のちょうどのぴったりの店が見つからず、私は往生したのである。東洋一の繁華街の新宿でさえ、好みの寿司屋はあるものではない。
金さえあれば、幾らでも良ければそれなりの店はある、しかし、予算に限りも有れば、味の好みもあれば、自分に合った雰囲気の良い店に出会うのは奇跡だと思う程である。

そう言う意味に於いても、この店は、本当に貴重な店で、ここがなくなったら青葉台のちょい悪親父達または、上品なご年配の親父達は行く所が無くなってしまうのである。
ウチは先代のオヤジも、味と人柄が気に入って、週に一度は来ていた。
それを引き継いで、私も行きたいと思うのだが、新宿にいてはままならない。
私の息子達にも引き継ぎたいのだが、彼等がまた、どういう事になるのか見当もつかない。

ジェネリック
2014/06/09

青葉区役所から手紙が届いた。
開けてみると、なんだこりゃ。

要するに、
あなたは、いつ、どこの薬局でこういう薬を処方しています。
しかし、もし、ジェネリックを使用すれば、何百円の得になっていますよ。
というお知らせ。

それを見て、カチンと来てしまった。
ジェネリックの説明をネットで製薬会社のHPを見ると。
「ジェネリック医薬品(後発医薬品)とは、これまで有効性や安全性が実証されてきた新薬と同等と認められた低価格なお薬です。」
なんだい、これが説明か?

研究開発した会社の特許が切れた事を理由に、関係ない企業が作ってしまう薬である。
我々のレコードで言えば、海賊盤のようなもの。

後発の企業は情報さえ入手すれば、研究費・開発費・などスタート時に膨大な経費がないため、当然安価である。
安価であり、効果は同等とは言うものの、製造工程が全く同じとはいえず、その安全性は不明である。
オリジナルを作っていた会社は最後のちょっとしたコツまで、事細かに情報公開しているわけではない。

しかし、私が薬局で順番を待っていると、薬剤師さんが何も知らない若者や年寄りに、「ジェネリックって知っていますか?効き目は全く同じでこちらのほうが安いですよと」盛んに誘導している。
私など、横で聞いていて、思わず話に割って入って行きたい衝動に駆られる。
新宿の風俗の客引きより、ある意味タチが悪い。
そういう話を聞いていると、へそ曲がりな私は、KB(キックバック)が相当出ているんだろうなと思う。

しかし、認可に相当うるさくて、各国で認可済の薬が今だに日本の厚労省の認可が降りないものも相当ある。
それなのに、その厳格な日本の厚生省が、よくもさらっと認可したものと、不思議である。

研究もせずに、期限が来たからといとも簡単に製造に乗り出し儲けようとは、企業人の風上にもおけないヤツ、。
しかし、役所たる所が、ジェネリックを推進するとは、一体どういうことなのだろう。
おい、儲けが出るからって、いい加減にせんか!

薬剤師も薬剤師なら、役所も役所。
あなた達は信頼される仕事ではなかったのか?
本当に、この世は終わりだ。

ノルマンディー上陸作戦
2014/06/08

ニュースで70周年記念式典があったと。
もう70年が経ったのだ。

オバマ米大統領は演説で、「70年前、自由を守るために危険を顧みずノルマンディーの海岸に上陸した米軍人らに敬意を表する。同盟国が自由の存続のために大きな犠牲を払ったのかを改めて思い出している」と。
勝った方は良いよな、綺麗事ですむから。本当は自分の利害で動いたくせに。
70年経っても同盟国と言っているのだから、我々日本やドイツは今でも敵国扱い。
オレは絶対パールハーバーの見学など行くもんかと固く決意。
その話はおいといて。

ノルマンディ上陸作戦は、私も高校生の頃、ノンフィクションで読んだ。
日本の敵国の話だという事を忘れてしまうほど、感動してしまった記憶がある。
それと、ジョン・ウェイン主演の「史上最大の作戦」という映画も上映され、何回か見た。
テレビでもやっていた。
上陸作戦であるから、上陸用舟艇という船を始めて映画で見て感動した。
映画の話が進む内に、ドイツ軍の軍服が非常にカッコ良かった事。
また負けて行くドイツ軍が可哀想だったこと。
日本と同盟国だったのにと、負ける側の哀れさがひとしお、心に沁みたのであった。

ジョン・ウェインが中佐かなんかで、これが叩上げという感じだったのだが、中佐に叩上げはいないから、そういう雰囲気だったのだ。それで上陸を今や遅しと、飛行機の格納庫かなんかで、西部劇で鍛えた、例のちょっと孤独感のある渋い顔で、ただひとり金属カップのコーヒーを飲んでいると、明日上陸の知らせがはいる。
感極まったジョン・ウェインは持ったコーヒーカップを辺りに投げ捨てる。
カラカラカンとコンクリに響いたいう音と、テーマ曲と共に、よく覚えている。

そういう上陸作戦だったのだ。
それでは分からないので、もうちょっと。
ソ連のドイツへの進行が徐々に進んだ頃合いを見たアメリカは、いよいよドイツも弱体化したとみて、遂にヨーロッパ上陸の運びとなる。
それがノルマンディ作戦で、ドイツ軍側としては、パ・ド・カレーが連合軍の目標と想定していたところ、ノルマンディ海岸に米国、英国、カナダの連合国が殺到。待ち構えていたドイツ軍との間で激しい戦闘があった。

その時のある指揮官の言葉、「まず自分を守れ、余力があるなら他人も守れ」。
現実的で素晴らしい言葉である。
嫌なアメリカにも時々、こういう凄い人がいるね。
現代の我々の実生活にも、そのまま当てはまる。
時々、何かの時に思い出している。
モトエ。

第2次大戦の大きな転機となり、その後ドイツの負け戦は加速して行き、8月にはパリ解放となったのである。
アメリカ嫌いのフランスで、アメリカの男が唯一モテた時と言われる所以である。
それから一年後の45年、ついに最強を誇ったナチス・ドイツ軍も降伏し、最高のデザイン軍服姿は見られなくなったのである。
世界史の勉強になるな。

しかし、あんなにカッコ良い制服というのは、制服史上、二度とないと思われる。
男のファッションとして上から下まで完璧だわ。
映画を見ていると、ドイツの応援してしまう。
ファッションは大事だ。
うん。一人納得はオイトイテ。

勿論スパイ合戦でそのような情報もあったのだが、ドイツ側のスパイが不利と見て寝返ってしまっていて、ドイツは孤立していたらしい。
負けて行く側は、いつも空しい。

おもえば、その時のアメリカ側の戦死者約2,000人。
日本との戦いの硫黄島では、アメリカの戦死者6,800人、日本側の戦死者20,000人。
いかに硫黄島戦が凄惨だったか。
日本は可哀想。

白ジャケット
2014/06/07

ちょうど白ジャケが使い終わって注文しようかと思っていて、ふと開店当時を思い出してしまった。

50年代の古いレコード・アルバムは、経年変化でジャケットが壊れやすい。
それでレコード盤だけ無地のいわゆる「白ジャケット」通称「白ジャケ」と呼ばれるものに、別にして売ろうかという事になった。
ところが、当時は白ジャケを扱っている会社も知らないので、どうしようかと悩んでいた。
ちょうどお客様でディスク・ユニオンの店長の誰それと親しいから、良かったら業者を訊いてみてやるよ、という事になって、扱っている業者を有り難く、紹介していただいた。
下請けと思われる業者に連絡して、見積もりを下さいとお願いした。
その営業の、ちょっと態度が大きいなとは思っていたのだが、見積もりが届いてびっくり。
ディスク・ユニオンで、定価で売っている価格よりも、当店への卸値が高い。
それはオカシイと、担当者に電話すると、そういう価格だと言う。
「では、当店には売る気が無い訳ですよね」と聞くと。
その担当者は即座に「やっと気が付いたの、そういう事ですよ、相手にしたくないわけです」とあっさりしたもの。
「ユニオンで買えばいいじゃないですか」と。
しかし、卸値の方が、ユニオンの売値より高いとは、非常識。
小さな会社が、いかに苛められているのかという事を、まざまざと知った。
そんな会社はいつか見返してやると、決意を新たにして、負けてなるものかとやってきた。

私が以前いた会社は一部上場企業で、社会的には何不自由なく過ごしてきたのだが、独立してみるとクレジットカードは作れないわ、現金を300万持って行っても銀行の口座すら作ってくれないわ、弱いものというのかどうか知らないが、個人の力のいかに弱いかと言う事を、50歳になってやっと知ったのであった。

あれから15年
最近は従業員も売り上げはもっと少なくて良いと同業者が言っていると言われ、本当にその気になっているらしく、店はますます小さくなりそう。
会社の外も敵なら、中も敵。

秋吉敏子「黄色い長い道」
2014/06/06

最近、お金も乏しくなってきたので、私は心を入れ替えて、仕事中のコーヒーはインスタントにしている。
最初は頂き物を探して飲んでいたのだが、それも尽きてス−パーに行き安いのを購入。
それが安いのはあまり美味しくない、それで捨てるのももったいないので一生懸命に飲み終わり、次はデパートでネスカフェのを購入。
価格は結構なお値段だが、さすがに飲める。
ちょいとお湯を沸かして入れれば、熱くて苦くて甘いコーヒーに舌鼓(したづつみ)、有り難いことである。

ところで、インスタント・コーヒーとは、第2次世界大戦の前線にいる兵隊さんたちに、ぜひコーヒーをという市民の意見を取り入れ開発したもので、それを戦後ネスカフェが商品化したものである。
当事者のアメリカの前線の兵隊さんではなく、戦敗国の日本人が有り難がって飲んでいた。
今更だが、何だか、やや空しい。

と書いていて、ちょっと知り合いのブログを読んでいたら、ソノシートを購入したという話がのっていた。
それは絵葉書のレコード(ソノシート)だったようだ。

絵葉書レコードは、ヨーロッパに沢山あって、買付の時に色々見た。
しかし、本当の音楽というより所詮葉書という範疇か。
因みに、同様のレコードは旧共産圏にあって、骸骨レコードというのが見つかっていた。
当時の共産圏の若者や音楽家が、音楽を聴きたいのだが、物不足でレコードが入手できない。
それでX線のネガに目を付けて病院から持ちだして、自分達でカッティングしたもので、そのまま骨の写真の柄で面白いものであった。
時にはとんでもない人の若い時の演奏が聴けたらしい。
それでその、ソノシート、開発は同じく戦時中にまで遡るらしい。
戦時中、アメリカは最前線の兵隊さんにも不自由が無いように心をつくしていた。
ま、食べ物も無く死んで行く日本兵と、音楽やコーヒーの心配もしてもらえる兵隊さんとはエライちがいである。
勝てるはずが無いわな。その愚痴はやめて。
それで、上空から前線にパラシュートで物資と一緒にレコードを落下すると、SPだから割れてしまう。
それでビニール・レコードの開発も進んでいた事もあったが、それでも重量があって輸送に問題はある。
それで、軽量化という意味があってソノシートの薄さを開発したらしい。
前線にはあらかじめ「台紙」を持って行かせる事にして、音質の問題もクリアし、かなりの実用化に近づいた。
所が、戦争が終わって一応開発も止まってしまった。
それを日本においては、朝日が目を付けて商品化。それで朝日ソノラマ。
社会が貧しい間は、音楽に飢えた人々の助けになったのである。
これも、兵隊さんではなく、戦敗国の我々が有り難がっていたのは、やっぱり皮肉なものだった。
インスタント・コーヒーと同じなのである。

私など、高校生の時に、インスタント・コーヒーでもコーヒーはコーヒーだと、モダンな感じがしてうれしかったし、壊れかかったポータブル・プレイヤーでソノシートを聴いて、それでも青春だった。
そうそう、一枚だけあったジャズの作品は、アートブレイキーのブルース・マーチで、毎日何度も聴いた。

そんな時に、ソノシートで秋吉敏子の「黄色い長い道」なんかが売り出されていたのだな。
この一行で終わりか、今日は。

コルトレーンのギャラ
2014/06/05

JOHN COLTRANE “STARDUST”の所で、書こうと思っていて、資料があったはずだと探しても、どうしても見つからなかったので書けなかった。

それがお客様と試聴していた「アフリカ・ブラス」のレコードの中のライナーからひょこりと出て来た。本だとばかり思っていたら、ライナーの中だったとは。
改めて書いておこう。
忘れない内に。

1961年4月、コルトレーンはインパルス・レーベルと契約した。
当時5万ドルであった。
それも3年間で。
この金額はマイルスがコロンビアとの契約金に次ぐ2番目のものだった。
コルトレーンは、その前のATLANTICとは59〜61年の3年間であったが、最後の契約の履行がまだ残っていたので、契約最終日、そう最後の一日を使って、「OLE」を録音したのである。
アトランティック時代にはあの「GIANT STEPS」を作り一躍スターに上り詰めたのだが、その時のマッコイ・タイナー等とのクインテットは、一回のステージが3,000ドル、年間6万ドルの収入になっていた。という。

1960年は彼にとって最高の年であったが、しかし、そこに留まる事なく、次のステップを目指して、61年のインパルスという事になる。
まさに衝撃のIMPULSEレーベルなのであった。

今の金額にするには10倍すれば良いであろう。
ただし、当時の換算レートでは1ドル360円なのである。
新人としては、恐るべき評価である。



猫が
2014/06/04

昨日の朝だったか、夜だったか、もう忘れてしまった。
兎に角、狭い道を走っていた。
新宿だから道は狭いやね。

それで、走りながらふと見ると黒い猫が轢かれたらしく、道の際で死んでいた。
その道は一方通行で停車する場所も無く、バックミラーに後続車も数台見えたので、そのまま助ける事もしないで、通り過ぎてしまった。
悔やむなあ。
だけど、軍手も新聞紙も袋も積んでいなかったし、ちょっと無理だった。
これからは、そういう物を積んでおこう。

一日一善が途絶えてしまった。
残念。

ニッカ・ウヰスキー
2014/06/03

昨日、夜遅く帰ってテレビを付けたら、ニッカのコマーシャルをやっていて、CM嫌いの私だが、思わず見ってしまった。

出演は伊勢谷さんとかいう以前、白洲次郎を演じた人かな?

CMにはニッカの余市工場が出て来る。
ここは、もしウイスキーの工場見学に行くとしたら、断トツに素晴らしい場所である。

何より、何気に売ってくれる、樽から汲んだ、量り売りのウイスキー。
最長は20年ものである。
もちろん高額であるが、ここ以外に、我々素人が購入することができる事など考えられない。

よくシングル・モルトという言い方があるが、シングル・モルトというのは、その工場内でのブレンドのことである。
もちろん悪いはずはないが、マニアックに言うならば、更に興味深い所があって、それは樽から汲んだもの、すなわち、「シングル・バレル」である。
それを購入出来る事、それも世界トップ・クラスの20年物など購入できる事はありえない。

むかし、フィリピンのマルコス大統領が逃げ出した直後に、邸宅にカメラが入り、イメルダの靴のコレクションと共に、手書きラベルのウイスキーのコレクションがテレビ画面に映し出された。
本当の権力者の凄さに、洋酒通がため息を突いたと言われた事があったが、それらの中に入れてオカシクない、ウイスキーなのである。

余市では以前、25年物も売ってくれたが、どこかのビール会社に吸収されてしまったからかどうかは知らないが、現在は20年物が最長である。
25年物は確か20年物の倍の価格だった記憶がある。
もし30年物があったとして、またその倍という事になる。

金額の高さと共に、気が遠くなるほどの素晴らしさ。
CMに説得力があった。

CHICO HAMILTON “THE BEST OF….”
2014/06/01

CHICO HAMILTON “THE BEST OF….” IMPULSE A-9174 (USA)

このレコードは、新入荷ではない。
沢山売れたアルバムなので、巷に溢れている商品である。
私も店の棚の下に入れていて、暇な時に、息抜きなどで時々聴く。
ベスト盤かという感じで軽く扱っていた。
この辺りの作品について、うん蓄もどうかと思うし、興味津々という事もないし。

ところで、先日、歌舞伎町のジャズ喫茶「ナルシス」に行った時、ママさんが、こんなの知ってるよね、と掛けてくれた。それがB面の最後の曲で、ラリー・コリエル(LARRY CORYELL)のギターが渋くてブルージーでしびれてしまった。場所が変わると、音楽も変わる。
そうやってジャズの再発見はあるというわけ。
場所が変わったり、一緒の聴く人が変わったりすることは非常に重要。
それで見直して、B面ばかり余計に聴いている。
だけど、ガボール・サボ(GABOR SZABO)のギターの雰囲気も何とも言えない不思議なアーシーな感じがあって、これもまた良い。

今朝は、12時の開店に3分遅れたら店の前に、なんとサーストン・ムーア(THURSTON MOORE)が、待っていて、「待たせたな!」と笑いながら言っていたが、きっと怒っていたのかもしれない。
それで、慌てて店を開けてなんだかんだと試聴などしていて、ちょっと間が開いたので、このベスト盤を掛けたら、メンバーの皆が、このギターカッコ良いじゃんとなって、喧々諤々。
こんなレコードがあったのかと感心していた。

そうしたら、2時間後にポール・ニルセン・ラブ(PAAL NILSEN-LOVE)が入って来たので、私が、さっきサーストンが帰ったばかりだと言ったら、残念がっていた。
そして、「彼はレコードをいっぱい買ったか?」と興味ありそうに聞いて、ニヤッと笑っていた。
さっき、昼食を食べていたのんびりしていたのがいけなかったと悔やんでいた。
その間もこのレコードを掛けていて、やっぱり音楽家がこういうのに、パッと目が行く、いや違った耳が行くのだな。

という事があって、又このレコードが好きになってしまった。
これは売らなくても良いか?
売ったって安いし。

タクシー
2014/05/31

最近、車で走っていて、タクシーのマナーの悪さにはちょっと頭に来てしまった。

狭い通りでタクシーが来たので手を挙げたら、目が合ったその瞬間、「回送」に変えて走り去った。
失礼なヤツ。
ナンバーを見たら43−41だった、あれ、覚えていたんだオレ。

今日も右折信号に変わったので行こうと思ったら、タクシーがバンバン来て、前にいた一台だけが右折していく事が出来ただけで、私はそのままステイ。
オマケにそういうタクシーは空車。なんだかなあ。
新宿はそんな事が多々ある。

駐車していて、狭くなっている左側車線から無理やりに入ってくるタクシー。
大きな交差点のど真ん中で客を乗降させるタクシー。
急に車線変更するタクシー。

ちょっと前に、右折したタクシーが直進で来たバイクをハネた現場を見てしまった。
どう見てもタクシーが焦り過ぎ。

タクシーはいわばプロ。そのプロが素人衆以下の運転では恥ずかしい。
おまけに消費税が値上げに便乗して、料金も上がった、少しどころではなく、結構な金額になった。
そんな事で、客の信頼を得られると思っているのか?
しっかりしろ!
と怒っているのだが、怒っても仕方ないのだ、本当は。

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