| 菅野沖彦さんの記事 | - 2019/05/26
- 整理していたら、古いジャズ批評11号(昭和46年11月)が出て来たので、パラパラと読んでいたら面白い記事があった、菅野沖彦さんの記事。
「ロリンズのあの太い音の暖かくユーモラスで、あの音でなければ表現できない音楽の世界。あの艶っぽいフシ廻しは、あの音だから余計いい。 しかし、ロリンズの音も、ヴァン・ゲルダーの録音だと、油がのって、てりが出て、熱さが加わって凄いが、ロイ・デュナンの録音だと、澄んできれいで、さらっとしてくるのが面白い。 そして、ロリンズの音はまた、アルテックやJBLで聴くとガッツがあって圧倒的だが、国産のスピーカーで聴くとやたらに元気がなくなるのもおかしい。 サムシング・エルスのマイルスのミュートは、10kHz以上が出ない再生装置じゃ本当の良さはわからない。 鈴の鳴るようなミュートの振えは、ヴァン・ゲルダーがつけたエコーの効果と相俟って、きわめて高い周波数だけが人に与える特殊な刺激なのである。あれが丸っこい音になったら台無しだ。丸イス・デイビスなんていう情けない話になってしまう。」
という話である、昭和46年にこんな話をしているのに、最近もこんな傾向の話を一生けん命にしている。 まあ、世の中は繰り返すというのだが。
そして、オーディオとはにも言及して..... 「オーディオは自分自身を写し出す鏡であるし、自分の心の鏡に投影される物である。心の鏡は冴えていなければならない。 自身の触覚ともいえる手塩にかけた再生装置、云々」
まさにおっしゃる通り。 偉そうに語っている場合ではないなあ。
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